大判例

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福岡高等裁判所宮崎支部 平成4年(行コ)2号 判決

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用及び参加費用は、控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一  当事者の求めた裁判

控訴人は「原判決を取り消す。被控訴人は、鹿児島県に対し、金七万五六六〇円及びこれに対する平成三年三月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は、控訴棄却・控訴費用控訴人負担の判決を求めた。

第二  事案の概要

本件は、被控訴人が、被控訴人補助参加人(以下「鹿児島県」という。)の知事であった平成二年一一月二二日及び翌二三日に行われた大嘗宮の儀のうちの悠紀殿供饌の儀に出席し、そのための旅費として七万五六六〇円を、鹿児島県の公金から支出したことが、憲法二〇条一項後段、同条三項、八九条に違反し違法であるとして地方自治法二四二条の二第一項四号に基づき、鹿児島県に代位して、右旅費相当額の損害賠償を求めた住民訴訟事件である。

一  当事者間に争いのない事実等

1  控訴人は、鹿児島県の住民であり、被控訴人は、本件当時、鹿児島県知事の地位にあった。

2  被控訴人は、鹿児島県知事として、宮内庁長官からの案内状(乙八、二六の1、2)を受けて、平成二年一一月二二日及び翌二三日に、皇室の行事として行われた大嘗宮の儀のうちの悠紀殿供饌の儀に参列し、祝詞が奏されるなどし、天皇が御座につき、地方の風俗歌などが奏された後、皇后、皇族に続いて、式部官の合図に従って、他の参列者とともに拝礼を行った(甲三七の2、当審調査嘱託の結果。以下、参列と拝礼を合わせて「本件行為」という。)。

3  即位礼及び大嘗祭を含む大礼関係諸儀式等の期日と場所については別紙一「大礼関係諸儀式等(予定)について」に記載のとおりであり、同じくその概要については、別紙二「大礼関係諸儀式等の概要」に記載のとおりである(甲三四、甲九一の3。ただし、大嘗宮の儀の概要については、単に、宮内庁の見解を示すだけの趣旨である。)。そして、大嘗宮の儀が行われる大嘗宮の配置は別紙三「大嘗宮の配置図」に記載のとおりであり(甲九一の3)、大嘗宮の儀の次第については別紙四「大嘗宮の儀」に記載のとおりである(甲三七の2)。

4  被控訴人は、支出権者として(この点は、被控訴人も明らかに争わないから自白したものと見なす。)、鹿児島県の公金から被控訴人が右に参列するための旅費七万五六六〇円を支出した。

5  控訴人は、平成二年一二月二三日、本件の支出及び知事随行職員のAに対する旅費の支出が違法であるとして、鹿児島県監査委員に対して住民監査請求を行ったが、同監査委員は、平成三年二月一八日付けで、本件監査請求について合議が整わなかった旨の監査結果を通知し、これは翌一九日に控訴人に到達した。

二  本件支出の違法性についての控訴人の主張

1  政教分離原則の普遍的意義

宗教は、人の内面的確信にのみ根拠づけられるものであり、本質的に個人的、私的なものであるから、国家とは相互に分離されるべきであり、国家が宗教に対し関心を持つことは許されない。しかし、国家が宗教を利用して国民の意思を結合し、一定の政治目的を達成することは、歴史上、特に政治的危機の時代に繰り返されてきた。民主主義による政治過程にあっても、非妥協的、絶対的な特質を有する宗教的要素が持ち込まれると、妥協・修正の道が閉ざされるため、これが機能しなくなり、民主主義社会の健全な展開が阻害されることになる。このように、政教分離原則は、狭義の信教の自由を補強するとともに、民主主義の国家秩序を健全に発展させ、同時に、宗教を健全な状態に保つためにも必要とされる。

そして、政教分離原則の内容として次のことを挙げることができる。第一に、国家が、宗教を支援して宗教的価値を教示することにより、宗教を促進、助長することがないようにすべきである。第二に、政治的対立が、宗教による非和解的な対立に繋がらないようにするため、国家の非宗教性が要請される。第三に、国家が特定の宗教団体を行政的に監視・監督するなどして、当該宗教団体の信教の自由を害したり、国家の宗教的中立を害することのないようにすべきである。第四に、本件のように、国家と宗教との象徴的結合、即ち、国家が宗教との特別の結びつきを示す何らかの行為を行うことにより、対外的に、宗教に対する国家の支持・是認があると受け取られるような行為も、それによって特定の宗教に対する関心を呼び起こす効果を持ち、国家の宗教的中立性を否定することになり、また、その宗教を信仰しない人々に対し、それに従わせるような圧力を醸成することになるという狭義の信教の自由の保障の点からも禁止されるべきである。

2  憲法における政教分離原則の意義

(一) 立法事実

憲法における政教分離原則は、その規定が具体的かつ詳細であるという体裁のほか、以下に述べる立法事実からも、極めて厳格な分離を意味することが明らかである。

(1) 大日本帝国憲法下における信教の自由と国家神道

明治維新後、新政府(以下、「明治政府」という。)は、戦争遂行のための強力な国民統合の手段として、皇室の宗教的権威を利用して、天皇崇拝を中心教義とする国家神道を形成することを計った。そして、大日本帝国憲法(以下「旧憲法」という。)の成立までに、明治政府は、神仏分離、天皇崇拝中心の神道教義の組織的布教活動、神社の系列化・支配、特権的地位の付与など国家神道体制の形成を進めた。しかし、これに対する反対の動きが強まり、結局、神社神道を祭祀に専念させることにより宗教ではないという建前を取ることにより、神道が他の宗教の上に立つ国家神道体制を固め、神社参拝等が臣民の義務であるとして、事実上神道の信仰を強制し、国家神道が事実上国教化された。そして、旧憲法では、天皇を神聖不可侵で(三条)、統治権の総攬者(四条)とするとともに、信教の自由も一応は保障したが、臣民の義務に反しない限りとの制限が付され、右のとおりの義務が課されていたため、極めて不完全なものであった。その後も、教育勅語の発付、神社の公費経営などが進められ、このようにして、古来の神社神道を利用して天皇制の精神的支柱となる国家神道が作り上げられた。そして、天皇を全国を支配する神として崇める信仰を国民に押しつけ、他方で、天皇に忠義を尽くして戦死すれば神とすることによって、天皇のために命を捧げることを求めた。とりわけ、大嘗祭において天皇に神格が付与されるとすることが、右宗教による支配の核心をなしていた。このような国家神道による支配が非妥協的な政治体制を生み、破滅的な侵略戦争を引き起こし、他の宗教の弾圧などの害をもたらした。

(2) 憲法の政教分離原則の制定経過等

敗戦後、GHQは神道指令を出し、右のような国家神道の害悪から国民を解放し、その再発を防止するなどの目的で、具体的かつ徹底的な国家と神道との分離を命じた。憲法草案の起草者も、特に神道と国家との厳格な分離を意図したものである。このように国家神道の弊害を直視し、旧憲法下における国家神道による支配の仕組みを完全に、かつ、引き続き払拭するため、憲法において極めて厳格な政教分離の制度が導入されたのである。すなわち、政教分離規定の最大の目的は国家神道を解体し続けることにあるのであり、また、大嘗祭において天皇に神格が付与されるとすることは国家神道の頂点である皇室祭祀のなかで中核をなす部分であるから、これとの関わりについては、特に厳格な分離が貫かれなければならない。

また、日本人は、諸宗教を矛盾を感じずに取り入れるという多重信仰性を有するが、このことは、自己の信仰とは別に国家の祭祀をも信仰することにも繋がり、国家神道体制が違和感なく受入れられる原因となり、他方、そのことは必ずしも宗教に寛容であるということではなく、かえって、厳格に一神教を信仰し他の宗教を否定する少数者は抑圧される環境に置かれ、また、国等が宗教的儀式の宗教性を軽視して、安易にこれと関わりを持ち、その結果、右のような少数者の信教の自由は一層傷つきやすい状況に置かれることになるので、このことからも政教分離原則は、厳格に解釈されなければならない。

(二) 政教分離規定の解釈適用基準

政教分離規定の解釈としては、愛媛玉串料事件最高裁判決でM裁判官、N裁判官、O裁判官が意見として述べたとおり、目的効果基準は違憲審査基準として不明確であり、完全分離を基本とした新たな基準を確立することが正当であると考えるが、右判決の多数意見が、津地鎮祭違憲訴訟の最高裁大法廷判決の示した目的効果基準を踏襲しつつ、改めてその客観的かつ厳格な適用を求める立場に立っているので、以下では愛媛玉串料事件最高裁判決が示した基準を前提として、本件の事実関係について主張する。

(1) 目的効果基準の適用のあり方・解釈方法

愛媛玉串料事件最高裁判決が列挙した行為の主催者、順序作法等の外形的側面などの諸般の事情をそれぞれ証拠に基づき判断すべきであり、その主張立証責任は一次的には政教分離原則違反を主張する側にあるが、これについて一応の立証がなされた場合には合憲を主張する側において反証をなす必要が生じることになる。

そして、右事実関係に基づき目的及び効果を判断するに当たっては、多数者ないし多数意思を用いるべきではなく、一定の合理的、客観的な判断力を有する理性的な人間、即ち、憲法原則、特に政教分離原則や信教の自由の価値、大嘗祭の歴史などについても無知ではなく、しかも、共同体の因習的意識からも自由になることができ、危害を受けたと合理的に主張している非多数者の視点にも立てるような人間の判断によるべきである。

この点について、愛媛玉串料事件最高裁判決も、目的効果基準は憲法制定経緯に照らして解釈すべきであり、たとえ相当数の者が望んでいるとしても、そのことのゆえに地方公共団体と特定の宗教とのかかわり合いが相当とされる限度を超えないものとして憲法上許されることになるとはいえないとした。これは、現在においても目的や効果の判断をルーズに行うことは許されず、憲法が政教分離規定を設けた経緯を前提に厳格に判断しなければならないことを注意し、かつ、憲法の人権規定は少数者の人権を守ることにこそ主眼があるのであって、憲法に違反する行為である以上、相当数の者が望む行為であっても、憲法上許されることにならないことを指摘したものといえる。

(2) 地方公共団体と特定宗教との特別の関わり

愛媛玉串料事件最高裁判決は、援助、助長、促進の「目的」の認定について、「他の宗教に対しても同様の関わりを持っているかの比較」による客観的判断をすべきことを明らかにしたうえで、「効果」に関しても、地方公共団体と特定宗教との特別の関わり合いは、一般人にその宗教団体が特別なものであるとの印象を与え、特定の宗教への関心を呼び起こすものだとする考え方を強調して、特定宗教団体との関わりは原則として宗教に対する援助、助長、促進の効果を有することになることを明確にした。

(3) 社会的儀礼の解釈

愛媛玉串料事件最高裁判決は、社会的儀礼といえるのが、時代の推移によって宗教的意義が希薄化し、慣習化した場合に限ることを明らかにした。

(4) 代替行為の可能性

愛媛玉串料事件最高裁判決は、世俗的目的ないし儀礼的意味合いも併存する場合に、それが特定の宗教と特別の関わりを持つ形でなくても行うことができるか否かという点を政教分離違反の判断要素の一つとして掲げた。

(5) 愛媛玉串料事件最高裁判決は、地方公共団体の名を示して行う玉串料等の奉納と一般にはその名を表示せずに行うさい銭の奉納とでは、その社会的意味を同一に論じられないことは、おのずから明らかであるとして、宗教行為を公的に行うことの持つ社会的意味の重大さを指摘している。

なお、最高裁は、世俗的目的が「直接の目的」だったとしても、行為を客観的に分析して宗教的意義を持つと認められる場合には、政教分離違反となるという立場をとっていることに留意する必要がある。

3  本件行為の外形的側面

(一) 被控訴人が参列した悠紀殿供饌の儀の宗教性

(1) 大嘗祭の宗教性

被控訴人が参列した悠紀殿供饌の儀は、大嘗祭の中心をなす儀式である大嘗宮の儀の一部であるが、大嘗祭は、賢所などの宮中三殿との関連が強いこと、神社神道の本宗である伊勢神宮との連携が見られること、施設の建設に先立って地鎮祭が行われ、儀式に先立って祓いがなされるなど神道固有の儀式が見られることから、全体として、神社神道の儀式である。さらに、本件大嘗祭は、登極令に規定された儀式をそのまま模して行われたことから、国家神道の儀式として行われたといえる。

(2) 大嘗宮の儀の宗教性

大嘗宮の儀は、悠紀殿供饌の儀とこれと同じ次第による主基殿供饌の儀により構成されるところ、これらの式次第自体において、祝詞を奏し、神饌を供するなど神道の式次第に則って行われている。

また、大嘗宮は、鳥居(神門)が設置されるなど神道の施設であり、被控訴人が参列した幄舎も、神事・祭典などを行うための仮の建物で、参列者の着座等の目的で使用される神道固有の施設である。

さらに、大嘗宮の儀の主宰者は天皇及び皇族であるが、その場合の天皇は皇祖天照大神及び天神地祇に対して祭祀を行う司祭者であり、また、儀式の主要な部分を遂行した掌典職は多くが神職や神道研究者であることから、神式による宗教儀式であることは明らかである。

以上のとおり、大嘗宮の儀及びその中の悠紀殿供饌の儀は神道形式による儀式であり、かつ、地鎮祭、結婚式、葬式のような儀式とは異なり、他の宗教形式では行えないものであることから、このような儀式に関わること自体が直ちに特定の宗教との特別の結びつきを示すものである。

(二) 本件行為の宗教性

(1) 参列の意味

被控訴人は、このような宗教儀式である悠紀殿供饌の儀に参加し、儀式の次第に則った行為をした。右行為は、宗教儀式には参列者が不可欠であり、その多寡、参加者の社会的地位によって、宗教の権威や布教効果が一層増大するものであること、特に、神道は祭祀儀礼を中心とすることからすると、参列自体が宗教儀式の一部を構成するものといえることからすると、被控訴人が県知事の立場で参列することにより、右宗教儀式に公的な意味を持たせ、儀式の次第に則って行為することによって、儀式の権威を高め、布教の効果を高めるものである。

(2) 拝礼の意味

拝礼は、その形式にかかわらず信仰を表明する行為であり、外形的に見れば宗教行為そのものであるというべきであるから、反証がない限り、被控訴人の行為は宗教行為と認定すべきである。

4  被控訴人の行為の宗教的意義と儀礼論に対する反論

(一) 被控訴人の行為の歴史的意義

(1) 大嘗祭の起源と歴史的観点からする本件大嘗祭の意義

ア 大嘗祭が皇位の継承に不可欠の伝統を有する儀式ではないこと

天皇の即位儀は大嘗祭の開始以前から行われていたこと、大嘗祭の開始後も十数代もの天皇が大嘗祭を行わなかったこと、中世においては、天皇の死去に伴う皇位継承が例外的なものであったことからも明らかなように、践祚、即位礼、大嘗祭を一連の皇位継承儀式として行うことはなく、大嘗祭が天皇霊と一体となって天皇となるための不可欠の儀式であるというような考え方もなかったことからすると、大嘗祭を行うことが皇位の継承に不可欠との伝統はなかった。また、一七三八年に行われた桜町天皇の大嘗祭以降は必ず大嘗祭が行われているが、その規模や社会的影響は、当時の天皇の権力に応じた小さいものであったのに対し、神権的天皇制を確立した明治天皇以降の大嘗祭は、これらとは区別されるものであったことからすると、少なくとも本件大嘗祭のような規模・形式で行われるようになったのは、明治以降、特に、旧憲法下で、登極令が制定されて以降のものであって、皇位の継承に不可欠の伝統を有するものではない。

イ 明治以降の大嘗祭の意義

明治天皇の即位礼は、戊辰戦争の遂行等の必要から早期に行われたが、その大嘗祭は、中央集権態勢が一応安定した三年後に、天皇の支配権が各府県にわたることを誇示するため、はじめて各府県から庭積の机代物を献上させ、新都東京で盛大に行われた。その後、一九〇九年に登極令及び登極令附式が制定されて、はじめて即位礼と大嘗祭が大礼の一環として引き続いて行われるようになり、大正天皇及び昭和天皇の大嘗祭はこれに基づいて行われたが、病弱な大正天皇の権威をもり立てるなど、それぞれの政治情勢等から一層大がかりに行われ、庭積の机代物は、それぞれその当時統治下にあった全ての地域から献上させられるなど、一層服属儀礼の性格が強まった。

本件大嘗祭は、登極令等を事実上踏襲して行われたものであり、憲法の下において、これに公的性格があるとすることは許されない。

(2) 知事参列の歴史的意義

大正、昭和の大嘗祭においては、大嘗宮の儀の当日に地方長官の相当数の者が御祭文及び幣物を受けて神宮や所管の官国幣社に勅使として派遣されており、大嘗宮の儀には参列しなかったと考えられる。本件大嘗祭においては、現憲法下で知事にこのようなことをさせることが許されないことが明らかであるから、これに代えて、知事を大嘗宮の儀に参列させることによって服属儀礼の性格を継続させたものである。

このように歴史的には、知事が大嘗祭に参列する根拠はなく、被控訴人は右の趣旨のために大嘗祭に参加したことになり、これによって大嘗祭の完成に役割を果たしたものである。

(二) 本件行為の宗教的意義

(1) 宗教儀礼の意義

宗教とは、内心の信仰的世界(宗教の世界そのもの)を表出する聖物、事件、人物、集団、言語、儀礼等の象徴の体系であるとされ、これら象徴は、いずれも内心の信仰的世界を表出するとともにこれに接する者に信仰を伝達する機能を有する。そして、儀礼などの言語によらない象徴を用いた活動は、教義などの言語によるものよりも信仰の伝達において重要な役割を果す場合が多い。特に、儀礼は、一定の秩序・形式・順序に従って、節度正しく厳粛に行われることから、参加者に与える感銘力や、集団の構成員としての自覚をもたらす作用が強く、信仰の伝達にもっとも効果的である。また、神道のような自然発生的で体系的教義を欠く自然宗教においては、儀礼などの言語によらない象徴を用いた活動は、信仰を外部に現し、布教伝道を行うのに不可欠である。現に、神社神道は、祭祀儀礼が最も重要な布教手段であることを自認している。

以上のとおりであるから、悠紀殿供饌の儀という宗教儀式に参加し、儀式の次第に従い、拝礼までした被控訴人の行為は、信仰を伝達し普及する効果の大きい行為であった。

(2) 皇室祭祀と神社神道との関係

悠紀殿供饌の儀などの皇室祭祀は、神社神道の祭祀であり、これに公人として参加した被控訴人の行為は、神社神道という特定の宗教に対する援助等という意義を有するものである。

明治維新の思想的担い手となった国学者らは、集団の宗教、人間の祖先神という性格を有する神道に天皇崇拝を結合させ、神仏分離と皇室の神道化の双方を進めたものであり、これらによってそれぞれ形成されたものが神社神道と皇室祭祀であって、これらは同一の理念を有する。すなわち、皇室は、平安期以後仏教化が進み、鎌倉中期以降は約五〇〇年にわたって真言宗の檀家であったが、明治維新後は天皇の宗教的権威を全面的に復興して新たな国教の頂点に据える構想の下に皇室から仏教的要素が一掃されるとともに、皇室祭祀が整備拡充され、他方、元来は皇室とのつながりを有するものは少なく、民衆の素朴な御霊信仰に根ざした地域的なものであった全国の神社の祭も皇室祭祀を基準として編成された。このようにして、皇室の先祖神である天照大神を祭る伊勢神宮を本宗として全国の神社が再編成されたものが、国家神道であり、その宗教的権威は全て天皇と皇祖皇宗の神霊にあり、天皇は皇祖神に連なる神であるとともに自ら皇室祭祀を司る国の最高祭司であった。そして、明治政府も、神道を直接国教とすることはできなかったが、神社は宗教ではないとし神官を祭祀儀礼に専念させることにより事実上の国教とし、旧憲法にも天皇の神聖性などを規定し、皇国史観などの教育を行うなどして国家神道の信仰伝達をした。

戦後、国家神道の組織は解体されたものの、その信仰自体は残り、全国の神社の九割強が神社本庁に結集し、明治の伝統を継承し、伊勢神宮を本宗とし、天皇崇拝、天皇統治の信仰を有している。神社本庁の信仰上、皇室祭祀は、皇位即ち国家の地位に伴う祭祀であり、天皇は国の最高祭司であって、これらは、神社本庁の信仰内容の上位部分を構成しているものである。そして、神社本庁は、現在まで、大嘗祭を国家行事として行うことを始め、右信仰を国家に公に認めさせる運動を行っている。他方、皇室祭祀は、皇室の私事となったが、その内容は、紀元節祭を除けば戦前と同内容の宮中三殿における祭祀を行っており、宮中三殿のうちの賢所は天照大神を祭る神殿であるが、正式には天照大神は伊勢にあるとして重要な節目には天皇・皇族が伊勢神宮を参拝しているもので、神社本庁が本宗とする伊勢神宮を最高の祭祀施設とし、天照大神を祖先神として、天皇が祭司となって国家万民の平安を祈念する祭祀を行っているのであるから、皇室祭祀の側から見ても、神社神道と別個の宗教ではない。よって、皇室祭祀と神社神道(神社本庁)は、組織は別でも、宗教的には一体で、前者が後者の上位部分を形成するものである。

(3) 本件大嘗祭と本件行為の宗教的意義

天皇の即位に関して連続して行われる践祚、即位礼、大嘗祭は、全体として、新天皇が践祚で皇位の証しである三種の神器を受継ぎ、即位礼で即位の宣言をし、大嘗祭で神と一体化するという物語をなしているものであり、大嘗祭の中心である大嘗宮の儀は、新天皇が皇祖天照大神と生命の基である新穀をともに食することにより神と一体となる趣旨の宗教儀式である。このことは、Bが「大嘗祭の本義」において、大嘗祭が、次の天皇となる者が、自らの身体に天皇の魂を受け入れて、自ら皇孫に列する、すなわち、神格を得る儀式であると述べていること、宮内省掌典で大礼使事務官として昭和大礼を遂行したCが、政府の公式の見解として、大嘗祭について、天神地祇に対する五穀豊穣への感謝の祭祀であるとする説を批判し、皇祖の霊徳を肉体的にお承けになるものであるなどと述べていること、一九四三年に文部省が編集した修身の教科書に、昭和天皇の大嘗祭に関する記述の中で、大神と天皇が一体となる神事であるとしていることから明らかである。なお、政府見解は、大嘗宮の儀の意味を新嘗祭と同様のものとしているが、大嘗祭が天皇の即位のときのみ行われること、主基の地方と悠紀の地方を占いで定めるなどの儀式が行われることの説明が付かず、失当である。

また、大嘗祭には、悠紀斎田、主基斎田から新穀が供納されるなど、大嘗祭に種々奉仕することを義務付けられる点に、地方の国々が天皇に服属することが象徴されているものである。また、皇室祭祀及び神社本庁の信仰によれば、大嘗宮の儀には、神である天皇が統治者で、統治権を譲り受けるという意味があるから、地方の被支配者を代表してこれに服従・忠誠を誓うことも必要である。被控訴人の行為はこのような意味で、大嘗宮の儀を完成させ、皇室祭祀及び神社本庁の信仰を実現させる行為である。

そして、近代以前の大嘗祭の意義について歴史学上の論争はあるが、そのことは別としても、本件大嘗祭は、旧憲法下の登極令及び登極令附式に規定されたのとほぼ同じ方式で行われたのであるから、その意義もこれと同じであるというべきであり、旧憲法下の大嘗祭が天皇が神格を取得し、国の支配権を取得する意義を持った儀式として行われたものであることは明らかであるから、本件大嘗祭も同様の意義を有するものであり、これは現行憲法の定める国民主権の原理に違反し、象徴天皇制にも違反するものである。さらに、仮に、本件大嘗祭が単なる奉祝儀礼であったとしても、国民主権原理の下では、天皇の即位を祝う神事に知事が参列することも許されないというべきである。

(三) 社会的儀礼論への反論

前記のとおり、時代の推移によって宗教的意義が希薄化し、慣習化した場合に限って社会的儀礼といえるものであるところ、以下に述べるとおり、悠紀殿供饌の儀に参列することが、時代の推移によって既に宗教的意義が希薄化し、慣習化した社会的儀礼にすぎないものになったとはいえない。

(1) 社会的儀礼であることと宗教的意義の評価との関係

社会的儀礼の性質ないし世俗的目的を有することと宗教的意義を有することとは別次元の概念であり、社会的儀礼であるといっても宗教的意義をもつものがあるから、目的効果論を適用する場合は、当該行為が社会的儀礼の性質を有するとしても、さらに、宗教的意義があるかないかを別個に検討しなければならない。また、知事の参列につき多数の支持があるとは到底思えないが、仮に多くの人がそのことを抵抗感なく受け入れ、多くの者が望んでいるとしても、憲法制定の経緯に照らせば、そこから直ちに社会的儀礼にすぎないとして宗教的意義が否定されたり、憲法上許容されるものではない。

(2) 政教分離規定の立法事実と天皇の祭祀への関与についての違憲審査

前記のとおり、憲法における政教分離原則は、天皇を現人神とし、皇室祭祀を頂点として全国の神社を国家が管理する国家神道体制を解体するために設けられ、その後も、宗教としての国家神道から国家に対する保証・支援の要求を阻止する意味を持ち続けている規定である。したがって、政教分離規定は、国家と神道との結び付きに対しては特に厳格に解釈適用されなければならないのであり、特に天皇の行う神道祭祀については、それが宗教としての国家神道の頂点に位置するのものであるが故に、厳重な分離が貫かれなければならないのである。

また、宗教としての国家神道、すなわち現在の神社本庁を中心とする神道勢力は、常に天皇を神道の祭り主として宣伝し、天皇との結び付きを強めることによって、自らの布教・伝道における地位を強めようと図っている。したがって、天皇の行う神道祭祀に対して国家が支援、関与することは、神道を公的に承認するという象徴的な意味を持つことになり、特に強く禁止されるのである。

(3) 天皇の象徴たる地位と政教分離原則

憲法上、天皇が象徴とされていることから、天皇の祭祀に対する公務員の関与が「儀礼」の意味を持ち、宗教性が薄められることになるか否かという点が問題となる。そこで、憲法の趣旨を検討する。

まず、憲法第一条の規定は、むしろ国民主権との関係で天皇に国政に関する権能がないことを宣言しているものであって、天皇が象徴であるという規定から何らかの法的効果を帰結することはできないと考えられるし、憲法九九条は、明確に天皇を含めた公務員の憲法尊重擁護義務を規定しているから、象徴天皇制が政教分離原則を制約することはない。

また、憲法は、その前文の体裁や、第一条に天皇の地位を「主権の存する日本国民の総意に基づく」と規定していることからいって、明らかに社会契約思想に基づき、国民の意思の総和として天皇主権の残滓をすべて除去し、新たに天皇の地位を定めたものと認められる。そして、象徴概念においては、象徴するものは象徴されるものの価値概念に主導されるものであり、象徴するものには象徴されるもののために行為していると人々は受け取るものであるから、象徴であるとされていることによって、天皇が日本国民より地位の高い者ということはできない。従って、天皇が憲法上象徴とされることから、これに儀礼を尽くすべきであるという法的効果も発生しないものである。

しかも、憲法四一条は、民選の国会をもって「国権の最高機関」であると定めているのであり、いかなる意味においても「象徴」たる地位を理由に天皇の行う儀式に儀礼を尽くすべき根拠は見いだせないのである。まして、天皇が私的に行う神道儀式に対してまで公務員が「儀礼を尽くす」ことは憲法上全く根拠がないことである。

以上のとおり、天皇が「象徴」であることを理由に、天皇の行う神道祭祀への関与が特別に許容されるという議論は認められない。

なお、最高裁大法廷判決で用いられる「社会的・文化的諸条件」とは、わが国における宗教的風土を意味し、社会においてそれが慣習や風俗となっているかどうかによって判断すべきであって、単に、憲法にそのような規定があるというだけで認められるものではない。また、天皇を象徴としてとらえる文化があるかどうかは疑問であるが、仮に、天皇を象徴としてとらえる文化が存在するとしても、その際は、宗教としての国家神道がいまなお存続していることや多重信仰が認められることも日本文化の側面であることも合わせて考慮すべきであるし、さらに、天皇を象徴としてとらえる文化があることから直ちに大嘗祭に公費で参加することが社会的儀礼にすぎないとして宗教的意義が否定されたり、憲法上許容されるものではない。

(4) 天皇の地位の世襲制と政教分離原則

天皇の地位が憲法上世襲とされていることをもって、天皇の代替り儀式に対して祝意を表すことが法的に意味を持つことになるのか否かについて、大嘗祭に関する政府見解は、「大嘗祭は、皇位が世襲であることに伴う、一世に一度の重要な伝統的皇位継承儀式であるから、皇位の世襲制をとる憲法のもとにおいて、大嘗祭につき国としても深い関心をもち、その挙行を可能にする手だてを構ずることは当然であり、その意味において、大嘗祭は公的性格がある」として、皇位の世襲制を最大の根拠として、大嘗祭への国費支出を正当化している。

しかし、まず、昭和天皇が天皇位にあり続けたのは、敗戦後、政府が国体護持に努力し、共産主義勢力と対立を深めたアメリカ合衆国の政治的意図と合致したという極めて政治的な事情に基づくものに過ぎず、憲法の象徴天皇の地位は新たに創設されたもので、この新たな地位に、主権の存する日本国民の総意に基づいてD氏が新たに就けられたと解するのが最も整合的な解釈である。また、憲法は、それ以降の皇位については、「世襲」で継承することを定めているのみであり、憲法以前の「伝統的天皇制」については、むしろ前文(「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」)や、九八条一項(「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。」)により、明確に否定していると解されるのである。

以上のとおりであるから、世襲制は天皇の地位への就任の資格条件を定めただけのものであり、そこから何らかの法的効果を導くことはできないのである。まして、憲法が世襲制を定めていることによって、憲法が伝統的天皇制を容認していると認めることはできない。

(5) 天皇の地位の変化と即位儀礼

前記のとおり大嘗祭は即位に不可欠な儀式ではないのであるが、いずれにせよ、皇室にとって皇位継承と関連する重要な神道儀式であるから、大嘗祭が即位関連儀式であることを理由として国や公務員の関与が正当化されることがあり得るか否かが問題となる。

まず、憲法の精神から見て、天皇の地位は、旧憲法における「神勅主権」から、日本国憲法における「主権の存する日本国民の総意に基く」ものに変化しているのであり、このような地位の変化に伴って、即位儀礼自体も変化せざるを得ないはずである。旧憲法の下では必要不可欠とされた神からの支配権の授受は、日本国憲法の下では何の意味も持たないばかりか明白に国民主権に反するものである。すなわち、憲法における国民主権によれば、そもそも国家機関がその地位や行為の根拠を国民や憲法及びこれに適合する法律以外のものに求めることはできない。特に、天皇については、過去の宗教的根拠を断ち切って、憲法に基づく世襲の天皇という国家機関への就任が認められたものであり、また、国民主権原理と国家機関の世襲による就任とは矛盾しており、その場合、憲法第一条によれば、国民主権原理が優先するから、天皇位の世襲は認められるものの、それに際し、国民主権原理に抵触するような儀式を公的に行うことは許されない。

また、大嘗祭の法的根拠から見ても、旧憲法の下では、それは皇室典範(一八八九年二月一一日制定)及び発極令(一九〇九年二月一一日制定)にあったが、皇室典範については、一九四七年五月一日、憲法制定を目前にして「皇室典範及び皇室典範増補廃止ノ件」という皇室令が出されて効力を失い、登極令も同日の皇室令第一二号(最後の皇室令)で「皇室令及び附属法令ハ昭和二二年五月二日限リ之レヲ廃止ス」とされ、無効となったことによって、憲法の下では、大嘗祭はいかなる意味でも法的根拠のないものとされたものである。すなわち、法制局は、帝国議会での皇室典範案の審議のために作成した「想定問答集」において、新皇室典範に規定すべき事項や現行(当時)の皇室令の取扱いについて、皇室の家範的な事項は削って国法の外に置くこと、即位の礼について、これを国事行為として行うことから、政教分離との関係上、宗教的色彩を除くこと、従って、大嘗祭及び三殿の祭事は再検討を必要とすることを記載しており、大嘗祭を宗教的儀式であると判断して、皇室の私的な問題であるとしたものである。また、国務大臣Eは、皇室典範案について審議された一九四六年一二月五日の第九一回帝国議会衆議院本会議において、皇室典範案に大嘗祭を行うことについての規定がないことにつき、「即位の礼については規定があり実質について異なるところはないから、大嘗祭などのことを細かく規定することに一面の理がないわけではないが、信仰に関する点を多分に含んでいることから、皇室典範に規定することは不適当であると考える。皇位継承に関する儀式について、様々な儀式が行われることは、恐らく現在の有様と同じような方向に向いていると理解している。しかし、改正憲法では、宗教上の意義をもった事柄は、国の当然の儀式とはしないことになっている。従って、皇位継承に関する儀式も少しでも宗教的意味を含んでいるものは皇室典範に取り入れることは困難であり、大嘗祭はそのため皇室典範に取り入れることはできない。」旨、一九四六年一二月一日の衆議院皇室典範案委員会において、「御大礼の中にも宗教的色彩の籠もっているものとそうでないものに分けることができ、紫宸殿の儀のように宗教的意味を含まないものや観念的に切り離すことができるものは、この皇室典範に基づいて、国が即位の禮を行う。大嘗宮の儀のように宗教的な面については、皇室典範は関知しない。しかし、それはなくなるのではなく、皇室典範の外において行われる。宗教によって行われる部面は皇室のお内輪のこととして別に存在するようになり、実際の手続は創意工夫をしなければならないが、それでとおると思う。」旨、一九四六年一二月一七日の貴族院皇室典範案特別委員会において、「即位の礼と大嘗祭は、今まではある思想で一貫されていたと考えるが、今後は、信仰に関係のない部面だけを採り入れることにして大礼の規定を皇室典範に織り込み、信仰的な部面は国の制度の外に置くことにし、皇室内部の儀式として続行されると想像する。」旨それぞれ答弁しており、このことからも、大嘗祭が皇室神道にかかる宗教行事であるため、皇室の私的な問題として法令の外に置かれたことが明らかである。

なお、政府見解は、大嘗祭に公的性格があるとする根拠として「伝統」という表現をキーワードとして用いているが、「伝統」だからといって、旧憲法下で行われて来た儀式が、日本国憲法の下でも可能となるわけではないことは、既に繰り返し述べて来た憲法原理の転換という点から明らかである。むしろ、旧憲法の下で「伝統」とされてきた価値は、基本的に日本国憲法の下では否定されており、違憲の推定が働くとさえ考えられるものである。

したがって、旧憲法下のものと同形式の「神勅」によって天皇となるかのような形態での即位儀礼は、それが仮に伝統的な儀式であったとしても、国民主権原理を採用した憲法第一条に反して許されないのである。

また、悠紀斎田、主基斎田が設けられて新穀供納するという儀式は、「服属」、即ち天皇の全国支配を示す意味合いを有するものであり、やはり国民主権原理に反するから、これらを政教分離原則の適用において「儀礼」と位置付けることは許されない。

天皇の即位儀礼は、憲法の国民主権、国会を国権の最高機関とする規定、政教分離原則等に則して、新たに構築されなければならなかったのである。

(6) その他、以下の点からも、本件行為を社会的儀礼としての意義を有するものとすることは許されない。

ア 歴史的に見て大嘗祭は即位に不可欠な皇位継承儀式自体ではないから、必ずしもこれに参列することが儀礼であるとはいえない。

イ 大嘗祭は、その意義から見て宗教性が非常に強く、特に神道の教義に則った明白な宗教儀式であり、かつ、本件行為が、祝電を打つなどではなく、これに終始参列し、神道施設である大嘗宮に拝礼をするという、外形的には宗教行為としか評価できない行為であったし、一般人の宗教的評価としても反対論が強かった。

ウ 悠紀殿供饌の儀は、神道方式でしか行われない儀式であり、これへの参列を「儀礼」と判断することは、直ちに他の宗教に対して神道を優遇する意味を有し、神道に対する支援となる。

エ 被控訴人の行為によって、今後、天皇の行う宗教儀式や次代の大嘗祭への参列が繰返され、神道との結びつきが強化される可能性が強い。

(四) 大嘗祭に対する国の支援行為の違憲性との関係

控訴人は、被控訴人自身の参列・拝礼行為の違憲性の判断を求めているのであるが、被控訴人が宮内庁長官の案内に応じて参列したこと、他の都道府県の知事の中には欠席したりした例があるのに、被控訴人は公の立場で参加したことからすると、被控訴人の参拝行為は、国の行為に加担し、これを完成させるものであり、その違憲性は、本件大嘗祭への国の支援行為の違憲性と相関関係を有するから、本件の判断に当っては国の支援行為の違憲性の検討も必要になる。

しかるところ、政府は、F内閣官房長官を委員長とする即位の礼準備委員会などを組織し、宮内庁と共同作業で準備し、国事行為とされた儀式は総理府が、それ以外の儀式は宮内庁が、それぞれ事務を担当して行い、また、大嘗祭には公的性格があるとして、公的行為のために支出される宮廷費を使用して、多額の出費をし、そのうえ、即位の礼当日を休日とし、国旗掲揚を要望するなどの奉祝要請行動をした。また、宮内庁は、地方自治体に対し大嘗祭に使用する庭積の机代物などの奉祝要請を行った。このような国の行為は甚だしい憲法違反である。

5  本件行為に対する一般人の宗教的評価

被控訴人の行為は外形的に見て宗教行為そのものであること、大嘗祭に対する国家の支援ないし被控訴人の本件行為に関し、憲法学者が憲法違反であると判断していること、また、次に述べるとおり、政党や宗教者・市民らが反対を表明し、反対運動を行ったこと、これに対し神社神道などが推進運動を行ったことからすると、一般人が本件大嘗祭は宗教的意義を有すると評価することは明らかである。

神社本庁を中心とする改憲推進団体が大嘗祭を含め大礼関係儀式を国の行事として伝統に則って行うことを求める運動を大々的に行ったが、内閣が設置した即位の礼準備委員会が行った有識者からの意見聴取において本件大嘗祭のような方式で大嘗祭を行うことに対し多数の反対意見が出され、大嘗祭に公務員が参列することについても違憲であるとの意見があり、また、政党の対応も、日本共産党、当時の日本社会党、公明党及び社会民主連合が大嘗祭を行うこと自体ないし費用を宮廷費から支出することについて憲法に違反する旨の意見を表明し、地方自治体の議会でも同様の反対決議をなし、キリスト教関係の団体、浄土真宗の関係者、学者なども反対運動を展開した。

6  被控訴人が本件行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度

そもそも、被控訴人は宗教的儀式であること自体明らかな本件大嘗祭へ参列したのであるから、そのこと自体から目的において宗教的意義があるものと推定されるというべきであるが、以下のとおり、被控訴人は、一層宗教的な目的を有したものと認められる。

(一) 行為の外形

本件行為は、前記のとおり天皇に神性を付与するという意義を持つ神道方式の宗教儀式である悠紀殿供饌の儀に参列し、拝礼を行ったというものであり、外形的には完全な、しかも高度な宗教行為である。しかも、それは、大正、昭和の大嘗祭における地方長官の役割に代えて服属儀礼の性格を継続させたものであり、被控訴人は、そのために不可欠の役割を果たしたもので、天皇を頂点とした神道ないしは宗教としての国家神道を支援する目的を有したというべきである。

(二) 儀式の性質に関する事前の理解

被控訴人は、宮内庁からの案内状に同封された大嘗宮の儀の式次第に右のような宗教儀式であること及び参列者が拝礼を行うことが、また、大嘗宮の儀の当日に配付された資料に皇祖天照大神及び天神地祇に対する儀式であることが、それぞれ記載されていたことから、これらを事前に知ることができたものである。

本件において被控訴人が、儀式の意義と次第について事前に知らされ、理解していたということは、被控訴人の本件行為を行うについての積極性と宗教との関わりに対しての主体的姿勢を示すものである。

(三) 庭積の机代物に関し、農業団体等の推薦を行っていること

被控訴人は、宮内庁(長官)から庭積の机代物の供納について、精米、精粟の供納の依頼先と特産物の品目を推薦することを依頼され、これに応じたが、これは大正、昭和の大嘗祭においてと同様に、服属儀礼の性格を有するものである。なお、本件大嘗祭においては、庭積の机代物を購入するという方法が採られたが、大正天皇の大嘗祭においても同様の形式が採られており、本件大嘗祭においても献上の性格を有することは変わりがない。また、庭積の机代物の選定や購入先は宮内庁において調査をすればよいことであって、ことさら知事に推薦を依頼した趣旨は大正、昭和の大嘗祭においてと同様に、服属儀礼の性格を持たせようとしたものである。被控訴人は、このように本件大嘗祭の準備段階にも関与したもので、その進行に主体的、積極的に関与する意思であったといえる。

(四) 儀礼を尽し、祝意を表す気持ちであったとの主張に対する反論

行為の客観的性格として儀礼の趣旨と宗教的意義とは並存し得るものであり、参列者である被控訴人の意識についても、これと同様に、儀礼の気持があったとしても、宗教に対する支援の意図等があれば政教分離違反となるのである。そして、前記4(三)のとおり、本件行為が客観的に見て宗教的意義が希薄化し、慣習化した社会的儀礼にすぎないものになったとはいえないのであるから、被控訴人の目的が皇位継承儀式に対する社会通念上の儀礼であるとしても、宗教に対する支援の意図等を否定することはできない。

そして、他県の知事の中には、欠席したり私費で出席した者も多数いるのに、反対意見が多くあることを承知で、かつ、祝意を表すためには祝電を打つとか、皇居を訪問して祝意を述べる等の代替手段もあり得るのに、敢えて大嘗宮の儀という宗教行事に参列したことは、宗教に対する支援の意図等があることを示すものである。

7  効果(本件行為の一般人に与える影響、効果等)

(一) 判断の方法について

被控訴人が参列したのは、悠紀殿供饌の儀であるが、これは、大嘗祭の主要儀式であり、大嘗祭は皇室神道の重要な儀式の一つであるから、被控訴人の行為は、単に悠紀殿供饌の儀に対するものではなく、皇室神道に対するものである。また、皇室の信仰は伊勢神宮と同一であり、その祭祀は神社本庁を頂点とする現在の神社神道の祭祀とほぼ同一と認められ、神社本庁の教義は天皇、皇室を頂点に載き、祭り主として崇め、天皇、皇室も私的には伊勢神宮を初めとする神社への援助を行うといった形で、両者は密接一体の関係をなしているというべきであり、しかも、神社本庁がその教義から帰結されるとおり、本件大嘗祭を国家行為ないし公的に遂行されるよう運動を繰り広げたことからすると、本件行為は、「神道」(神社本庁によって組織されている「宗教としての国家神道」)という特定宗教への直接的なかかわりあいを生じさせるものであり、神社神道ないし国家神道に対する援助、促進等の効果があったと考え、これを検討すべきである。

また、効果を判断する場合は、当該行為の外形的、経済的な側面のみにとらわれるべきではなく、社会に与える無形的なあるいは精神的な効果や影響をも考慮すべきである。

(二) 前記のとおり被控訴人の行為は、外形的に見て、宗教としての国家神道と国家、地方自治体との結び付きを象徴的に示す意味を持ち、高度の宗教行為であるから、宗教に直接にかかわるものであるといえる。

さらに、以下の点からすると被控訴人の本件儀式への参列は、神社神道ないし国家神道という特定宗教に対する援助、助長、促進の効果が強かったと認められるのである。

(1) 本件大嘗祭は、皇室神道による儀式であるにもかかわらず、一連の儀式とともに政府によって「国民的行事」として国民一般の関心の的になるように準備されたのであり、そのため前記4(四)のとおり周到な計画が実施されたのである。このような行為は、一般人に対して、それらの宗教団体が他の宗教団体と異なる特別のものであるとの印象を与え、特定の宗教への関心を呼び起こすものである。また、大嘗祭などの儀式が公的性格を有するとされた結果、新聞・テレビなどのマスコミが特別な体制を敷いて、これらの宗教儀礼が神話的意味の解説まで伴って、毎日のように非常に詳しく克明に報道されたことから、国民にかなり強烈な擬似参加の体験を与え、天皇の神聖性などの信仰を広く伝達することになった。

(2) 大嘗祭が、歴史的にも、将来的にも神道方式でしか行われ得ない儀式であることからすると、本件行為は直ちに他の宗教との関係において神道だけを特別扱いしたものと認められる上、神道と県との密接な関係が象徴的に示され、その結果として神道は他の宗教団体とは異なる特別のものであるとの印象を与え、一般人の神道と対する宗教的関心が呼び起こされ、高められることになったことは明らかである。特に、本件大嘗祭等に対する憲法学者の反対や市民団体の抗議にもかかわらず、被控訴人の参列が強行された事実は、一般国民に対して「神道の公的性格」に対する信念を強めることになった。

(3) さらに、政府が合憲との見解を示したとはいえ、これを批判する声も大きかったのであり、世論が分裂し対立する状況にあった。このような場合、行政をあずかる者には政教関係についての対立や軋轢を避ける慎重な態度が要求される。被控訴人は、自己の参列が対立や軋轢を激しくするとの認識はもっていたはずであり、そのことについて責任がないとはいえない。また、被控訴人の参列によって宗教団体に援助、抑制等の具体的「効果」が及ばないとしても、行政の中立性と世俗性には大きな打撃を与えるといえる。それは民主主義にとっても大きな脅威となり得るものであるのと同時に宗教(皇室神道)をも危険にさらすものである。それは公的機関を宗教的対立に巻き込むと同時に宗教を世俗的対立に巻き込むことにもなるのであって、公的機関と宗教団体のいずれにとっても害をもたらす虞れを有するものである。

(4) 被控訴人の参列は、事前に賛否両論あり、参列を辞退したり、私費で参列した知事もいる中で、敢えて公費で参列し、大嘗宮に向かって拝礼したことにより、県民・国民の間に深刻な政治的対立、宗教的不和を生じさせ、民主主義に対する不信感を増幅させた。

8  過度の関わり

目的効果の判断については、過度の関わりであるかについても、独立の要件として考慮すべきであるところ、被控訴人の行為は、大嘗宮の儀に参列し、大嘗宮に向かって拝礼するという高度の宗教行為であること、事前に賛否両論あり、参列を辞退したり、私費で参列した知事もいる中で、敢えて公費で参列し、大嘗宮に向かって拝礼したことにより、政治的対立、宗教的不和を著しく助長したことなどから、特定の宗教に対する度を超した関与であり、過度の関わりをもったものである。

9  愛媛玉串料事件最高裁判決の示した判断過程に基づく結論

以下に述べるとおり、愛媛玉串料事件最高裁判決の判断過程を本件に適用すれば、本件は違憲判断がなされなければならない。

(一) 憲法制定経緯と相当数の者の意思

天皇が戦前に大嘗祭を通して神格性を持ち、国家神道の中心に据えられたことにより、無謀な侵略戦争に国民が駆り立てられる結果となり、国民の信教の自由ばかりでなく、国内外の多数の生命が犠牲にされたという反省の下に現在の象徴天皇制が設けられ、天皇の地位が主権の存する国民の総意に委ねられることになったという「憲法制定の経緯」に照らして、天皇の宗教に対する国や地方公共団体の関与の問題については厳格に解釈されなければならない。

また、仮に相当数の国民が天皇に対してなおも畏敬の念を抱き、その挙行する宗教儀式に対して、案内されれば「儀礼」を尽くさなければならないと感じており、知事に案内があれば、天皇の宗教儀式に参列するのは当然だと考えているとしても(たとえ、それが「日本文化の一側面」であるとしても)、右憲法制定経緯に照らせば、そのことのゆえに、天皇が信仰する特定の宗教である「神道」と地方公共団体との関わり合いが憲法上許されることにはならない。

(二) 地方公共団体と特定宗教との特別の関わり

本件は神道という特定宗教に対する関与の事案であり、また、県が他の宗教との関係でも等しく本件大嘗祭と同様の関与を行うことがあり得ないことからして、県は特定の宗教との間にのみ意識的に特別の関わり合いを持ったことを否定することができない。そして、このような関与は、一般人に対して、県が当該特定の宗教である神道を特別に支援しており、その宗教が他の宗教とは異なる特別のものであるとの印象を与えて、特定の宗教への関心を呼び起こしたものと認められる。

(三) 社会的儀礼の解釈

大嘗祭が歴史的に見て明治以降に新たに作り直された儀式であり、天皇の行う一世一代の宗教儀式である以上、「時代の推移によって既にその宗教的意義が希薄化した」とか、「慣習化した」などということは全くあり得ないことである。

(四) 代替行為の可能性の有無

仮に被控訴人に「天皇の即位に対して祝意を表す」といった意識もあったとしても、これらの目的は、特定の宗教である神道の儀式に知事が公人として参列し、大嘗宮にむかって拝礼するといった特別な関わり合いを持つ形でなくともこれを行うことができるものであることは明らかであるから、被控訴人が前記のような「世俗的」意識を有していたからといって、政教分離違反を免れることはできない。

(五) 公的に行うことの重大さ

被控訴人が公人と公言して参拝したことは、単に天皇の宗教儀式に際して一国民が私人として関与する場合とその持つ社会的意味は全く異なるのである。

三  本件支出の違法性についての被控訴人及び補助参加人の主張及び反論

1  当該行為の外形的側面

(一) 被控訴人が参列した悠紀殿供饌の儀の宗教性について

大嘗祭の式次第は、仏教形式か神道形式かキリスト教形式かというような極めて大きな分類によるとすれば神道形式に入るであろうが、皇室固有の伝統的な方式によるもので、神社神道のそれによるものではない。また、もとより主催者である皇室は宗教団体ではない。

(二) 本件行為の意義

(1) 参列の意味

宗教儀式は参列者なしでも結構行われているものであり、参列者が宗教儀式の一部を構成したり、担ったり、あるいは、参列者の儀式中の所作が信仰を伝達することはない。

(2) 拝礼の意味

公人が社会的儀礼上ある儀式に参列するという行為は、目に見えない礼(祝意、弔意等)を参列という形で表わすものであって、公人がその儀式に参列して式次第に従って行動することにより、当該礼が行われたことになるものである。すなわち、公人が儀礼上、儀式に参列することは、既に各公人である参列者の主観を離れており、宗教的意義はない。

また、本件大嘗祭での拝礼の態様は、式部官が参列者に対し、「御拝礼願います」と合図をし、拝礼の方向についての指示はなく、幄舎に控えている参列者はおおむね椅子から立ち上がりそのまま前方に向かって拝礼を行ったというものである。そして、参列者の宗旨はまちまちであるから、参列者が拝礼により一斉に神道の信仰を表明することはあり得ない。したがって、式次第に従った参列者の拝礼は、主宰者及び主催者側の拝礼とは自ずから意義を異にすることが明らかである。このように、参列者の宗旨を問わない一斉の拝礼は、全参列者に通用する平均的意義のものであり、右拝礼の意義は、伝統的皇位継承儀式に対する「表敬」以外のなにものでもなく、客観的に見ても、参列者の拝礼に宗教的意義は認められない。

さらに、被控訴人は、伝統的皇位継承儀式に儀礼を尽し祝意を表する目的のもとに儀式に参列しているのであり、その儀礼は参列という行為全体により表現されるのであるから、右拝礼も儀礼を尽す行為の一環としてなされたものに外ならず、その拝礼にも宗教的意義がない。

2  被控訴人の行為が儀礼であり宗教的意義がないことについて

(一) 被控訴人の行為が儀礼的行為であること

政府は、即位の礼準備委員会において、即位の礼の儀式のあり方等について、大嘗祭を含め四回にわたり一五名の有識者から意見を聴取し、それらを参考としつつ、憲法の趣旨に副い、かつ、皇室の伝統等を尊重したものとするとの観点から、慎重な検討を行い、その結果を取りまとめた上で、大嘗祭について、まず、儀式の意義を述べ、その結びとして「それは皇位の継承があったときは、必ず挙行すべきものとされ、皇室の長い伝統を受け継いだ、皇位継承に伴う一世に一度の重要な儀式である。」とし、次に、儀式の位置付け及びその費用について、儀式はその趣旨・形式等からして宗教上の儀式としての性格を有することは否定できず、その態様においても、国がその内容に立ち入ることはなじまない性格のものであるから、国事行為として行うことは困難であり、皇室の行事として行われることになるが、大嘗祭は「皇位が世襲であることに伴う、一世に一度の極めて重要な伝統的皇位継承儀式であるから、皇位の世襲制をとる憲法の下においては、その儀式について国としても深い関心を持ち、その挙行を可能にする手だてを講ずることは当然」であるとし、大嘗祭を公的性格を有する皇室行事と位置付けて、その費用は宮廷費から支出するのを相当とする政府見解を公表した。右政府見解は、その後の国会において、論議が行われ、質疑に対する政府答弁により補足説明されて、大嘗祭の費用を宮廷費から支出することについて平成二年六月中に国会においても可決された。そして、右政府見解の趣旨の下に、宮内庁長官は、三権の長をはじめ国会議員、都道府県知事その他しかるべき範囲の代表者らに対し、広く参列の案内を行った。被控訴人も、知事として、これを受け、日本国の象徴であり国民統合の象徴である天皇の、一世に一度の極めて重要な伝統的皇位継承儀式に儀礼を尽し、祝意を表する目的をもって悠紀殿供饌の儀に参列することにしたのである。被控訴人の出席は、このような経緯により案内を受けた知事として、自然な儀礼的行為である。また、全国の大半の知事が公人として出席しているのも、被控訴人同様儀礼上出席するのを相当と認めたからに外ならない。このように、被控訴人の行為は知事の儀礼的行為として社会通念上相当な範囲の行為であり、許容されるものである。

(二) 大嘗祭が伝統的皇位継承儀式であることについて

控訴人は大嘗祭が伝統的皇位継承儀式であることを認めないが、大嘗祭が皇位の継承があったときに必ず行われるべき、一世に一度の重要な儀式として、古来行われてきたことは紛れもない事実であり、「即位に伴う儀式の一環であり、いわば皇位とともに伝わるべき由緒ある儀式」として、これを伝統的皇位継承儀式と見ることに誤りはない。

この点につき、Gの所説は、まず、践祚・即位・大嘗祭を一連の皇位継承儀礼としており、また、「即位儀礼の一環としてもっとも重儀とされてきた天皇一代一度の(践祚)大嘗祭は、天武・持統天皇朝にその開始期が求められることは、ほぼ定説になりつつある。天武朝を第一回の初例とすると、これまで一時中断(南北朝期・中世後期以降など)もあったが、昭和までの間に七一例を数え、平成二年十一月に予定されている大嘗祭が第七二回目ということになる。」、「古代・中世における国制機構の変化によって大嘗祭はどう位置づけられていったか。とくに経済的問題と戦乱の激化によって大嘗祭も式年遷宮も宮中の諸行事も中絶を余儀なくされていった。近世に入り安定期の時代になっても、大嘗祭の復興がなかなか進まなかった一つには、徳川幕府の対朝廷政策の意図があったことはいうまでもない。こうした観点をみていくと、大嘗祭は時代の世相、とくに政治的動向を直接反映していたということになり、歴史研究の立場から有効であるとともに、大嘗祭が斎行される環境は一貫していなかったという結論を導き出すことが可能である。しかし、それは政治史的視野からの一解釈であるにすぎない。大嘗祭の行われる場(朝堂院から紫宸殿前へ)をはじめ大嘗宮の規模の大小など変遷はあるものの、文化史的観点から考えていくと、その本質部分には何ら変更はみられない。」としている。

このように、皇位継承儀礼の一環として最重要の大嘗祭は、一三〇〇年を越える長い歴史と伝統に支えられてきた祭儀であり、一時の中断も兵乱や皇室の衰微等の特殊事情によるものであり、伝統を妨げるものではないことが明らかである。また、政府も、皇室の行事として行われる大嘗祭が、七世紀以来、即位後に必ず行うべきものとされてきた伝統的皇位継承儀式である点に着目し、この儀式が挙行できるように手だてを講じたものであり、宮内庁の見解も同様である。

(三) 知事参列の意義

控訴人は、知事の参列によって大嘗祭の服属儀礼としての性格を継続させたと主張するが、憲法下においては、天皇は統治者ではなく、日本国の象徴にとどまり、また、知事は政府により任命されるのではなく、直接選挙によって県民から選ばれるのであるから、控訴人主張のような関係はあり得べくもない。

(四) 皇室祭祀と神社神道ないし国家神道との関係

控訴人は、大嘗祭の実施が神社神道の布教に繋がるかのように述べているが、次に述べるとおり、大嘗祭は、皇位継承儀礼としての祭祀であって、神社神道と関係を有するものではないのはもちろん、天皇制と神道の教義との間にも本質的な関連はない。

大嘗祭は、記紀が編纂される以前から皇位の継承に伴い挙行されてきた伝統的儀式であるのに対し、神道の教義がつくり始められたのは、はるか後代の鎌倉時代中期以降であり、神道の教義が皇室との結びつきに努力したのはさらに遅れて江戸時代の中期以後であるという。したがって、神社神道に教義なるものがあるとしても、その教義が作られるはるか以前から皇位継承に伴い挙行されていた大嘗祭を、皇室が長い伝統を受継いで行われることが、神社神道の布教に繋がるようなことは一般には考えられないことである。

また、明治になって、神仏分離により形成された神社神道も、皇室祭祀も同一の神道理念のもとに同時期に形成されたものではないこと、また、皇室祭祀と神社神道は前者が後者の上位部分を形成するようなものではないことは明らかである。皇室の祭祀は、古来の伝承を中心に皇室固有の方式により行われてきたものであって、神社神道と関係を有するものではない。

なお、控訴人は、現在も実質上国家神道が存続するように主張するが、国家神道は、GHQのいわゆる神道指令(昭和二〇年一二月一五日)により解体され、さらに日本国憲法が第二〇条の規定を置くことにより、すでに消滅したことは周知のとおりである。控訴人は、関連して神社本庁の組織や活動について縷々述べるが、神社本庁及び傘下の神社は宗教法人としての存在以上の何ものでもなく、もとより国はこれに対し何の関与も行っていない。また、憲法制定後半世紀の間、神社本庁がどのような宗教活動を展開しようとも、皇室の祭祀はこれに関わりなく行われてきた。

(五) 大嘗祭と悠紀殿供饌の儀の宗教的意義について

大嘗祭の起源は、我が国社会に、奈良時代以前に遡る古くから伝承され、皇祖や上古の天皇も行ったとされる新嘗祭にあり、七世紀半ばころまでは、毎年行われる新嘗祭と一代に一度行われる大嘗祭との区別がなかったが、六七三年から六八六年まで在位した第四〇代天武天皇のときにこれが区別されるようになり、以後、大嘗祭は一代に一度行われる重要な皇位継承儀式となったものである。これに対し控訴人は、大嘗祭が、〈1〉天皇が皇祖神と一体になり神格を取得する神事であり、かつ、〈2〉全国が天皇に服属することを象徴する儀礼であるというので、以下反論する。

(1) 〈1〉の点については、平成二年四月一七日の内閣委員会においてH政府委員(宮内庁次長)が、政府としてはそのような説をとらないことを次のように述べて明らかにした。すなわち、控訴人が引用する修身の教科書の記述について、昭和一八年から終戦までの国定教科書にそのような記述があることを認めた上で、「昭和一八年から終戦までというのは日本にとって非常に大変な時代でありまして、そういう中で、我が国は神の国だというようなことで戦意高揚を図ったという特殊な事情によって、そういう記述がなされておるものではないかというふうに思うわけでございます。」と述べ、また、天皇が神と一体となる儀式であるとか、神性を得る儀式であるとかいう説について、「大嘗祭は、天皇が御即位の後、初めて大嘗宮において、新穀を皇祖、天神地祇にお供えになって、御みずからもお召し上がりになる、そして皇祖、天神地祇に対して安寧と五穀豊穣などを感謝されるとともに、今後とも国家国民のために安寧と五穀豊穣などを祈念される儀式というのが正確な理解であると思っておりまして、その式次第とかお告げ文等を先例等で見ましても、そこには神と一体となるとか、神性を得るとかいうことを見受けられる点はございません。したがいまして、宮内庁としてはそのような説には賛成いたしかねると考えておるわけでございます。」と述べている。

また、控訴人主張のような説は、Bの「大嘗祭の本義」をはじめとするものであるが、G及びIのようにこれを否定する学説もある。さらに、昭和天皇の大礼使事務官Cの談話(昭和三年)によっても、大嘗祭の意義について、当時も、それが天神地祇に対する五穀豊穣への感謝の祭祀だとする説があったことが明らかである。

(2) 〈2〉の点について、Jの論説では、大嘗祭におけるスキ、ユキ二国の起源が大和朝廷への服属の故事によるとの服属儀礼説そのものに疑問を呈し、その起源は、むしろ皇統の維持に功があった二国を選定したのではないかという見解を述べている。また、Gは、「その起源が服属儀礼であったとしても、時代の推移により、のちには大嘗祭など公的祭儀の場に招かれ、服属的性格から自らの氏族・共同体のハレの場として意識され、奉祝儀礼へと転化していったことは当然の帰結であろう。それを千三百年以上を経た今もって、服属儀礼としか読みとれない歴史研究の現在には限界がある。長い歴史と伝統に支えられて伝習されてきた大嘗祭は、服属儀礼として生きつづけてきたのではなく、奉祝儀礼へと再生していったところに、大嘗祭存立の今日的意義がある。」旨述べている。さらに、控訴人が服属儀礼につき引用しているIも、大嘗祭は古代においては服属儀礼であったが、時代ごとに変わる、だんだんと本来の服属儀礼の意味がなくなった、それがなぜ後世へ続いたのかについては目下研究中である旨述べている。このように服属儀礼説には異論がある。

(3) このように大嘗祭の意義に関する控訴人の主張はいずれも定説とはいえず、これに基づく控訴人の主張はその前提に問題があり認められない。

(六) 天皇の象徴としての地位について

伝統的皇位継承儀式である大嘗祭に儀礼を尽すべきであることは、当然に、天皇が日本国の象徴であり、国民統合の象徴であることを前提としている。しかし、控訴人はこれを認めようとしない。それは、控訴人が憲法の象徴天皇の規定を創設的なものと解し、かつ、象徴天皇の制度が国民主権と原理的に矛盾すると考えているからである。すなわち、控訴人の象徴天皇に関する主張はK教授の所説に多く依拠しているところ、同教授は、旧憲法と新憲法の天皇制が断絶していると解した上、しかも、象徴天皇制も原理的に国民主権原理と矛盾するものとし、象徴天皇制を「可能な限り無化」しようとし、また天皇制は身分差別の根源であるとして天皇制否定の考えを述べている。しかし、右の考え方は決して一般的な考え方ではない。憲法第一条は象徴天皇制を国民主権と調和できるものとして規定しているのであり、もし、矛盾するならば、このような規定は置かれなかったであろう(因みに、国民主権のもとに世襲の王室を置いている国は先進国の中に幾つも存在する。)。また、天皇の象徴的地位は、日本国憲法の創設にかかるものではなく、旧憲法時代にも伝統的、慣習的に認められていたものを成文化したものに過ぎない。憲法は旧来の天皇の役割のうち国の象徴としての役割を残し、国民主権の原則と調和できるものとしたのである。

(七) 天皇の地位の世襲制について

憲法二条は、直接は、天皇の地位につく資格が一定の血統に属する者に限られることを規定しているだけであるが、その血統が従来の伝統的天皇の血統であることを自明の理としている。このように、憲法は、天皇の地位を従来の伝統的天皇の血統による世襲とする点では伝統的天皇制を容認したものである。政府は、この点にかんがみ、伝統的皇位継承儀式には公的性格があるとして、皇室の行事たる大嘗祭の挙行を可能とする手だてを講じたのであり、儀式の宗教的側面には着目せず、大嘗祭が七世紀以来伝承されてきた伝統的皇位継承儀式であることを重視したのであり、このことは相当である。

(八) 大嘗祭に対する国の支援行為の違憲性との関係

本件について、国の大嘗祭への関与が政教分離原則に違反するかどうかにつき論議する必要はない。

なお、政府は、皇室の行事として行われる大嘗祭が、七世紀以来、一世に一度の重要な儀式として、即位後に必ず行うべきものとされてきた伝統的皇位継承儀式である点に着目し、憲法上皇位が世襲であることにかんがみ、伝統的皇位継承儀式には公的性格がある。すなわち、「即位に伴う儀式の一環であり、いわば皇位とともに伝わるべき由緒ある儀式」として、この儀式が挙行できるように手だてを講じたものであり、儀式の宗教的側面には着目せず、大嘗祭が七世紀以来伝承されてきた伝統的皇位継承儀式であることを重視したのであって、何ら憲法に違反するものではない。

3  被控訴人が参列等を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度

(一) 被控訴人の意図、目的及び宗教的意識の有無、程度について

被控訴人は、宮内庁長官の案内を受けて、知事として、日本国の象徴であり国民統合の象徴である天皇の、一世に一度の極めて重要な伝統的皇位継承儀式に儀礼を尽し、祝意を表する目的をもって悠紀殿供饌の儀に参列することにしたのであって、宗教的意図や宗教的意識など全くなかった。このことは次の点からも明らかである。

まず、被控訴人は、前記政府見解が憲法に違反するとは考えられなかった。そして、右見解が、大嘗祭が宗教上の儀式であるため、国がその内容に立入ることはなじまないから、皇室の行事として行われることを述べたうえ、国が深い関心を持つのは、皇位の世襲に伴う一世に一度の極めて重要な伝統的皇位継承儀式である点であることを強調し、この故に公的性格があるとしたので、被控訴人は儀式に臨み特に宗教的意識を持たなかった。

また、被控訴人は、その目的を鹿児島県監査委員に表明したばかりでなく、平成三年二月一八日、「大嘗祭の出席については、宮内庁長官から知事に対し正式に御案内をいたゞき、また大嘗祭に関する政府見解も出されたことから、これに出席して祝意を表わすことは社会的儀礼行為であるとの考えで出席したものである。」とのコメントを書面にして報道機関にも公表し報道された。さらに、被控訴人は、宮内庁長官から平成二年一一月二日付大嘗宮の儀の案内状を受けるまでは、大嘗祭とは何の関わりもない存在であった。

(二) 控訴人主張の儀式の性質に関する事前の理解の点について

被控訴人が予め知り得た式次第は、宮内庁長官から受けた大嘗宮の儀の案内状に同封されていた式次第だけであり、式場その他において式次第の説明を受けたことはない。

(三) 控訴人主張の庭積の机代物の購入先等の推薦の点について

控訴人は、被控訴人が宮内庁の依頼により庭積の机代物の購入先等の団体を推薦したことをもって「被控訴人が大嘗祭の進行について主体的、積極的に関与する意思を有していたことの表れ」という。

しかし、ジュリスト九七四号一五二頁に掲載されている「都道府県の庭積机代物」の一覧表によれば、全都道府県の産物が出揃っており、すべての知事が推薦に応じたであろうことが窺われる。一方、庭積の机代物は明治期に創設されたというのであるから、大嘗祭の本質に関わるものでないことは明瞭である。また、宮内庁が直接購入先を選定することなく推薦を依頼したのは、皇室は国民の前に公正公平を保たなければならないから、宮廷費による物品の調達に当たっては一店一舗に偏することが許されないため(贔屓があってはならない)、都道府県知事に関係団体の推薦を依頼したものに外ならない。

4  代替手段があるとの主張に対する反論

控訴人は、参列しなくても祝電を打つとか、皇居を訪問して祝意を述べるなどの行為があり得るというが、公人が儀式に儀礼を尽す場合、その儀式の意義、主宰者等に「相応する儀礼」を必要とするのであり、本件儀式のような重要な儀式に宮内庁長官の案内をうけた以上、参列こそが相応の儀礼であり、控訴人のいう祝電等はむしろ礼を失するというべきであろう。

5  効果

儀式が宗教的儀式であるからといって、案内を受けて(案内がなければ参列していない)、多数の参列者に伍してただ参列しただけの行為が宗教的効果(特定宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等)を生ずるものではない。

四  争点

本件の争点は、前記のとおり、本件支出が政教分離原則に違反し違法なものであるかどうか、特に、その原因となる本件行為が憲法二〇条三項により禁止されている宗教活動に該当するかであるが、本件大嘗祭が宗教上の儀式としての性格を有することは被控訴人も否定しているものではなく、本件の中心的な争点は、本件大嘗祭が神道色の極めて濃厚な儀式であり、日本国憲法(以下、単に「憲法」という。)の国民主権原理及び象徴天皇制に反する宗教上の儀式であるかどうか、そして、本件大嘗祭に参列し拝礼した被控訴人の本件行為に宗教的意義があるかどうかにあるので、まず、憲法における政教分離原則の意義及びその判断基準を示し、次いで本件大嘗祭の意義及び性格、被控訴人の本件行為の意義について、以下順次判断する。

なお、控訴人は、本件大嘗祭に対する国の支援行為の違憲性を主張するが、本件は被控訴人が悠紀殿供饌の儀に参列し拝礼した本件行為の違憲性の問題であるから、直接その点の判断をすれば足り、本件大嘗祭について国が関わった行為についての違憲性を判断する必要はないので、控訴人が主張する右の点は判断を要する争点ではない。

第三  争点に対する判断

一  憲法における政教分離原則の意義と判断基準

1  最高裁判所(多数意見)は、憲法二〇条一項後段、同条三項、八九条の定める政教分離原則の意義と判断基準について、「元来、政教分離規定は、いわゆる制度的保障の規定であって、信教の自由そのものを直接保障するものではなく、国家と宗教との分離を制度として保障することにより、間接的に信教の自由の保障を確保しようとするものである。そして、国家が社会生活に規制を加え、あるいは教育、福祉、文化などに関する助成、援助等の諸施策を実施するに当たって、宗教とのかかわり合いを生ずることを免れることはできないから、現実の国家制度として、国家と宗教との完全な分離を実現することは、実際上不可能に近いものといわなければならない。さらにまた、政教分離原則を完全に貫こうとすれば、かえって社会生活の各方面に不合理な事態を生ずることを免れない。これらの点にかんがみると、政教分離規定の保障の対象となる国家と宗教との分離にもおのずから一定の限界があることを免れず、政教分離原則が現実の国家制度として具現される場合には、それぞれの国の社会的・文化的諸条件に照らし、国家は実際上宗教とある程度のかかわり合いを持たざるを得ないことを前提とした上で、そのかかわり合いが、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で、いかなる場合にいかなる限度で許されないこととなるかが問題とならざるを得ないのである。右のような見地から考えると、政教分離原則は、国家が宗教的に中立であることを要求するものではあるが、国家が宗教とのかかわり合いをもつことを全く許されないとするものではなく、宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的及び効果にかんがみ、そのかかわり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないとするものであると解すべきである。

右の政教分離原則の意義に照らすと、憲法二〇条三項にいう宗教的活動とは、およそ国及びその機関の活動で宗教とのかかわり合いを持つすべての行為を指すものではなく、そのかかわり合いが右にいう相当とされる限度を超えるものに限られるというべきであつて、当該行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうものと解すべきである。そして、ある行為が右の宗教的活動に該当するかどうかを検討するに当たっては、当該行為の主宰者が宗教家であるかどうか、その順序作法(式次第)が宗教の定める方式に則ったものであるかどうかなど、当該行為の外形的側面のみにとらわれることなく、当該行為の行われる場所、当該行為に対する一般人の宗教的評価、当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度、当該行為の一般人に与える効果、影響等、諸般の事情を考慮し、社会通念に従って、客観的に判断しなければならない。」と判示しており(最高裁判所昭和四六年(行ツ)第六九号同五二年七月一三日大法廷判決・民集三一巻四号五三三頁、最高裁判所平成四年(行ツ)第一五六号同九年四月二日大法廷判決・民集五一巻四号一六七三頁参照)、当裁判所もこれと異なる見解を採るものではないので、以下、右判断基準に従って、本件支出の違法性の有無について検討する。

2  なお、控訴人の政教分離原則の意義等に関する主張について付言すると、

(一) まず、一定の範囲で国と宗教との関わりが許容されることを前提として、その範囲を行為の目的と効果によって判断することは違憲審査基準として不明確であり、完全分離を基本とした新たな基準を確立するのが正当であるとする点は、右1のとおり、完全分離は実際上不可能に近く、それを貫くことはかえって不合理な事態を生じることを免れないから、採用できない。

(二) また、国家神道が未だに消滅していないこと、大嘗祭が国家神道の頂点である皇室神道の中核をなした儀式であること並びに憲法制定経緯を考え併せれば、国ないし地方公共団体(以下、「国」若しくは「国家」という。)の神道、特に、大嘗祭への関わりについては、一層厳格に解釈されなければならないとする点については、それが、目的と効果の判断において、憲法制定の経緯を考慮しなければならないとの趣旨であればともかく、神道や大嘗祭への関わりについて、他の宗教や儀式に対するものとは別のより厳しい基準によって判断すべきであるとの趣旨であれば、その主張の前提とする事実の存否に関わらず、逆に特定の宗教に対して抑圧的行動をとることになり信教の自由を憲法自ら侵害することになるから、採用できない。

二  本件大嘗祭挙行の経緯等

1  昭和天皇が昭和六四年一月七日死去し、現天皇が即位したことに伴い、内閣は、平成元年九月二六日、即位の礼準備委員会を設置し、同委員会は、即位の礼に関する諸問題について協議をする過程で、一五名の有識者から意見聴取をし、同年一二月二一日、政府見解として「『即位の礼』の挙行について」をまとめ、同日、同政府見解は閣議で了承された。右政府見解では、「即位の礼」は国事行為として総理府本府に担当させることが適当であるとしたが、大嘗祭については、「大嘗祭は稲作農業を中心とした我が国の社会に古くから伝承されてきた収穫儀礼に根ざすものであり、天皇が即位の後、初めて、大嘗宮において、新穀を皇祖及び天神地祇にお供えになって、みずからもお召し上がりになり、皇祖及び天神地祇に対し、安寧と五穀豊穣などを感謝されるとともに、国家・国民のために安寧と五穀豊穣などを祈念される儀式である。それは、皇位の継承があったときは、必ず挙行すべきものとされ、皇室の長い伝統を受け継いだ、皇位継承に伴う一世に一度の重要な儀式である。」とし、「大嘗祭は、前記のとおり、収穫儀礼に根ざしたものであり、伝統的皇位継承儀式という性格を持つものであるが、その中核は、天皇が、皇祖及び天神地祇に対し、安寧と五穀豊穣などを感謝されるとともに、国家・国民のために安寧と五穀豊穣などを祈念される儀式であり、この趣旨・形式等からして、宗教上の儀式としての性格を有すると見られることは否定することができず、また、その態様においても、国がその内容に立ち入ることにはなじまない性格の儀式であるから、大嘗祭を国事行為として行うことは困難であると考える。(後略)」とした(甲九一の3)。

2 一方、宮内庁も、平成元年七月に大礼検討委員会を、次いで、同年九月に大礼準備委員会を設置し、右大礼準備委員会は、同年一二月二一日、前記政府見解を踏まえて、

「1 「即位の礼準備委員会」の検討結果によれば、大嘗祭は、国事行為として行うことは困難であるとされている。したがって、大嘗祭については、皇室の行事として、「即位の礼」との関係を考慮しつつ、皇室の伝統に従い、先例等を参酌して行われることが適当である。

2 以上の点を踏まえ、大嘗祭の中心的儀式については、おおむね次のとおりとすることが適当である。

(1) 儀式 次の儀式を行う(名称はいずれも仮称)。

〈1〉大嘗宮の儀 悠紀殿供饌の儀 主基殿供饌の儀

〈2〉大饗の儀

(2) 挙行時期 平成二年秋を目途とする。なお、期日については、国事行為として行われる「即位の礼」の諸儀式終了後とし、その具体的期日は喪明け後に決定する。(後略)」との検討結果を公表し、さらに、平成二年一月に大礼委員会を設置し、右大礼委員会は、同月一九日、大礼関係の儀式の予定と概要を発表し、同月二三日、宮内庁長官は、大嘗祭について、「大嘗宮の儀及び大饗の儀の期日・場所」を告示した(甲九一の3)。

これにより、大嘗祭は皇室が主催するものとされたが、大嘗宮の儀はもともと天皇が主宰するものである(乙七、一一)。

なお、天皇は、即位後初の記者会見で、「憲法は国の最高法規ですので、国民とともに憲法を守ることに努めていきたいと思っています。終戦の翌年に学習院初等科を卒業した私にとって、その年に憲法が公布されましたことから、私にとって憲法として意識されているものは日本国憲法ということになります。」と述べ、また、即位の礼及び本件大嘗祭の終了後の記者会見において、本件大嘗祭の憲法適合性や儀式の性格について、政府及び宮内庁の検討結果に従う旨述べている(甲九一の3)ところからすると、本件大嘗祭の主催者である皇室及びその主宰者である天皇の本件大嘗祭についての見解は政府及び宮内庁の見解と同じであると見ることができる。

3 そして、前記(第二、一、3)のとおり大嘗祭が挙行され、被控訴人は、鹿児島県知事として、宮内庁長官からの案内状を受けて、大嘗宮の儀のうちの悠紀殿供饌の儀に参列して拝礼を行った。

三  本件大嘗祭の意義及び性格について

1  大嘗祭の起源及び本質

(一) 大嘗祭が成立した時期については諸説あるが、いずれにせよ践祚・即位より後の時代であり、天武天皇(六七三年)若しくは持統天皇(六九一年)の七世紀には確立されていたと見られている。

大嘗祭の起源は、宮中の新嘗祭にあり、これを天皇の即位後最初に大がかりに行うというもので、大嘗祭が行われた年には新嘗祭は行わないという関係にあり、起源は新嘗祭にあるが、皇位継承に伴う一世に一度の重要な儀式とされ、即位式とともに皇位継承儀式の一環をなす重要な皇室固有の儀式とされていたといわれている。

(二) したがって、大嘗祭が宮中の新嘗祭と同様な意味において神事としての意義を有することは明らかであるが、その本質論、すなわち、天皇の神格化を意味するのかという点や服属儀礼としての性格を有するのかという点になると、大嘗祭の本儀である大嘗宮の儀の悠紀殿供饌の儀・主基殿供饌の儀に関連して、〈1〉 大嘗祭を新天皇の就任儀礼と捉え、新天皇が悠紀殿・主基殿の中央に設けられた神座の褥に臥することによって「天皇霊」を身につけることになり、天皇の資格を得て、完全な天子(現人神)になるとする真床襲(覆)衾説、〈2〉 大嘗祭は稲の収穫儀礼であると同時に王権儀礼の場でもあり、畿外に悠紀・主基の齋国を設定し、その奉仕によって営むものであるとする服属儀礼説、〈3〉 大嘗祭は摂政といえども代行の叶わぬ親祭であり、皇祖天照大神と天皇が聖別された神膳を供えて交歓されることに核心があるとする神饌供進説等の諸説があり、未だ定説を見ない。(以上、甲二の1ないし7、二〇の1ないし4、二一、二九及び三〇の各1ないし3、三二の1ないし3、五三、九一の3、乙一、一二、)

2  歴史的観点からの大嘗祭の意義

(一) 前記のとおり、大嘗祭は即位式とともに皇位継承儀式の一環をなす重要な儀式とされていたといわれており、過去において、即位礼も行わなかった仲恭天皇のほか、南北朝期及び応仁の乱から徳川五代将軍綱吉が再興を認めるまで合わせて一四代の天皇が即位礼を行いながら大嘗祭を行わなかったことがあるが、それについては、皇室の経済的窮乏や戦乱、徳川幕府に天皇が力を持ち大名と結託することを阻止しようとする意図があったという理由による例外的なものであり、これらの天皇以外の天皇は即位後大嘗祭を行っていたといわれている(甲二〇の3、二一、乙一二)。

(二) そうすると、大嘗祭そのものは即位式とともに皇位継承儀式の一環をなす重要な伝統的儀式として行われてきたといえるが、その即位式・大嘗祭の様式等については時代により変更があり、特に、明治天皇の即位式・大嘗祭の様式、とりわけ即位式の様式は、先代の孝明天皇の様式を一新したものであったといわれている。すなわち、明治維新後、明治政府は、祭政一致政策の下に、慶応四年(一八六八年)正月一七日に第一次官制(「三職分課職制ヲ定ム」及び「三職分課職員ヲ定ム」)を発布し、神祇事務総督を置き、同年二月三日には三職八局職制を定めて、神祇事務局を置いて(自慶応三年十月至明治元年十二月法令全書一五ないし二〇頁、二七頁)、神祇宮制度を興し、神道国教化の構想を打ち出した。そして、同年八月二七日になされた明治天皇の即位式では、孝明天皇の即位式が支那風のものであったのを一新し、儀式、衣装、装飾等において際立った神道色を強め、大嘗祭においても統治の象徴としての庭積の机代物の献上制度を取り入れた。

その後、歴代の皇霊も従来の仏式を改めて神祇官による神式で祀られるようになり、また、緒社の神格が整序されるなど、神道主義の徹底が図られ、神仏分離による神道国教体制が整備されていった。そして、明治二二年旧憲法が制定され、我が国は万世一系の天皇を統治権者とし、天皇は神聖にして侵すべからざるものとする近代的天皇制国家機構が確立され、明治四二年二月一一日には旧皇室典範が制定されるとともに、同日新たな儀式体系として登極令(同年皇室令第一号)及び登極令附式(以下、便宜上両者を合わせて「登極令」という。)が発布されて即位の令及び大嘗祭の具体的内容が定められたが、それらは神道形式によるものであり、これにより神格化された天皇による祭政一致の国家体制が完備された(但し、登極令における大嘗祭の様式は、即位の令の様式程には旧来の様式を刷新したものではないともいわれている。)。

そして、大正天皇及び昭和天皇の即位の礼及び大嘗祭は登極令に基づいて行われたが、昭和天皇の大嘗祭に際して、登極令五条により大礼使事務官に任ぜられ、昭和大礼を遂行したCは、大嘗祭の意義について、単純に天神地祇に対する五穀豊穣への感謝の祭祀であるとする説を批判し、皇祖の霊徳を肉体にお承けになるものであると説明し、また、国は、文部省の昭和一八年度「初等科修身四」の教科書において「大嘗祭は、天皇が御一代に御一度おこなう我が国でいちばん尊い、いちばん大切なお祭りであり、天皇がこれを行うのは我が国が神の国であるからであり、大嘗祭は大神と天皇が一体となる神事であって、これは我が国が神の国であることを明らかにするものである」旨を説き、この国定教科書は終戦まで使用され、国民の心底に深く刻み込まれることになった。

(以上、甲一九、二八、三六の1ないし5、九一の3)

3  本件大嘗祭の問題点

(一) 本件大嘗祭は、前記政府見解に基づき、皇位継承に伴う伝統的な皇室の行事として行われたが、その中心的儀式である大嘗宮の儀は戦後昭和二二年に廃止された登極令が定める大嘗宮の儀とほぼ同じ次第で行われた(甲三六の1ないし5、九一の3、乙一)。

そこでは、宮中三殿(皇祖天照御大神を祀る賢所、歴代天皇及び皇族を祀る皇霊殿並びに国中の神々を祀る神殿)との関連が強く、伊勢神宮の祭式による神宮に奉幣の儀があるなど神宮に直接の関わりを持つ儀式が多く、また、大嘗祭のための施設の建設に先だって地鎮祭が行われ、お祓いがなされるなど神道固有の儀式がなされ、鳥居(神門)等の神道施設が設置されるなど、神道儀式に基づくものであった(甲二五、三九の7及び13、九一の3)。

(二) 旧皇室典範及び登極令は、万世一系の天皇を統治権の総欖者とし、天皇を神聖にして侵すべからざるものとする旧憲法の規定を前提とするものであった。しかし、戦後、主権原理の大転換がなされ、天皇の神格化が否定され、現行憲法によって、天皇の地位は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、主権の存する日本国民の総意に基づくものとされるに至った。したがって、かかる現行憲法下において、廃止された登極令にならい、神道様式による大嘗祭を行うことは、昭和大礼の大礼使事務官C及び国定教科書が大嘗祭について前記のとおりの説明をした歴史的事実に照らすと、本件大嘗祭が国事行為としてではなく、皇室の行事として行われたものであるにしても、旧憲法下における旧皇室典範及び登極令の思想を引きずるものであるとの印象を払拭しきれないものがある(大礼使事務官C及び国定教科書の右説明について、宮内庁次長Hは、「大嘗祭は、天皇が御即位の後、初めて大嘗宮において、新穀を皇祖、天神地祇にお供えになって、御みずからもお召し上がりになる、そして皇祖、天神地祇に対して安寧と五穀豊穣などを感謝されるとともに、今後とも国家国民のために安寧と五穀豊穣などを祈念される儀式というのが正確な理解であると思っておりまして、その式次第とかお告げ文等を先例等で見ましても、そこには神と一体となるとか、神性を得るとかいうことを見受けられる点はございません。したがいまして、宮内庁としてはそのような説には賛成いたしかねると考えておるわけでございます。」と答弁している(乙七)が、当時の国家情勢があったとはいえ、国並びに天皇及び皇室が天皇と神とが一体となるとの説明を是認し、国民の心の奥深くにかかる思想を刻み付けたという歴史的事実を否定できるものではない。)。

そして、そのことが、大嘗祭には、本来、国家及び国民の安寧と五穀豊穣を感謝し、祈念する意味があり、また、皇位継承に伴う重要な皇室の伝統儀式の性格があるにもかかわらず、本件大嘗祭の意義及び性格を曖昧なものにした。

4  本件大嘗祭の意義及び性格並びに国民主権の原理及び象徴天皇制との関係

(一) 旧憲法下において、大嘗祭に天皇の神格化の儀式性が強調されたことは前記のとおりであるが、他方、大嘗祭に、天皇において新穀を皇祖及び天神地祇に供え、安寧と五穀豊穣を感謝し、今後の国家国民の安寧と五穀豊穣を祈念する意味内容及び性格があり、その趣旨で、成立以来、即位式とともに皇位継承の重要な儀式の一環として伝承されていることも前記認定のとおりである。

(二) また、我が国は、ポツダム宣言受諾後、いわゆる神道指令(国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保證、支援、保全、監督、竝ニ弘布ノ廃止ニ関スル件)により国家と神社神道の完全分離がなされ、皇室もこれを受け入れて皇室神道は公的性格を失い、また、現行憲法に先駆けて、昭和天皇は、昭和二一年一月一日の年頭詔書において、天皇の神性を否定し(いわゆる「人間宣言」)、現行憲法施行後は国民主権の原理に基づく象徴天皇制を尊重する姿勢を堅持し、現天皇も皇太子当時から記者会見、懇談会等において、同様の姿勢、精神を貫いてきている。また、本件大嘗祭挙行当時、現行憲法も施行後四十数余年を経て、一部の勢力(旧天皇制を懐かしみ、それへの回帰を願う勢力及びその対極的立場で天皇制そのものを否定する勢力)を除き、国民一般の間、特に戦後の民主主義社会において育った世代の間では、明治憲法下における異常なまでの神格化された天皇観は改められ、現行憲法に則った象徴としての天皇観が定着してきている(甲八九の4、九〇の3)。

さらに、戦後、天皇制の原理について一大転換がなされたが、天皇制そのものが憲法上存在を認められている以上、何事も全てを一気に新しいものに切り替え、旧制度下のものは伝統をも含め一切合切全てを切り捨てることは必ずしも必要ではなく、むしろ皇室の伝統的なものは、憲法の定める国民主権の原理及び象徴天皇制に反しない限り、これを受け入れ、様式等については時代に即応して徐々に工夫し、日本国及び日本国民統合の象徴として国民に真に親しまれ愛される天皇及び皇族を育み、実を結ばせるべく、天皇及び皇族並びに一般国民が一致して努めることも必要であり、また、このことは憲法の期待するところでもあると考えられる(その意味で、皇室を支える行政機関たる宮内庁の役割と責任は極めて重大である。)。

また、儀式にある程度伝統的な荘厳性、神秘性、宗教的性格は付きものであるから、一定限度のものは社会通念上是認しても差し支えないと考える。

そして、宮内庁は、本件大嘗祭の内容及び性格について、前記政府見解と同様に、天皇が即位後に初めて大嘗宮において新穀を皇祖及び天神地祇に供え、供饌し、皇祖及び天神地祇に安寧と五穀豊穣を感謝し、今後の国家国民のために安寧と五穀豊穣を祈念する儀式であり、それ以外に天皇の神格化を意味する要素はないとし、神社本庁の神道教義、すなわち、祭祀は神道が最高度に表明され、集中的に表現されるものであって、神道信仰の最も深い態度が打出されているものであり、その最奥の意義は、神と一体となること、神に帰一し、神意に随順することにあるというもの(甲二八)、とは一線を画する内容・性格のものと位置付けており、この点は、前記のとおり、天皇及び皇室も同じ見解であると解される。

(三) 右のような諸点を踏まえて考えると、本件大嘗祭は旧憲法下の登極令にならった神道様式によるものであり、国民との関わりを持つ以上、その様式においてなお現行憲法に明確に適合するように工夫すべき問題を残してはいるものの、その意味内容及び性格については、旧憲法下におけるように天皇の神格化儀式として神道色の濃厚な意味内容及び性格を有するとはいえないと考える。

以上のとおりであるから、本件大嘗祭は、その様式について問題はあるが、天皇において新穀を皇祖及び天神地祇に供え、安寧と五穀豊穣を感謝し、今後の国家国民の安寧と五穀豊穣を祈念する意味のものであるといえないではないから、本件大嘗祭が現行憲法の基本原理である国民主権並びに象徴天皇制の下において認められる限界を超えているとまで断定することはできない。

四  本件行為の宗教的意義

1  本件行為の具体的内容等

(一) 本件大嘗祭は皇室の儀式として行われたものであり、知事がこれに参列することは地方自治法上の知事の職務内容に含まれるものではなく、宮内庁長官から案内を受けたとしても、もとよりそれに参列するかしないかは各知事の自由であり、また、それに参列するにしても、個人として参列するか知事(公人)として参列するかは、各知事が自由に選択すれば足りるものであった。そして、案内を受けた知事には、それに参列した者も参列しなかった者もあり、参列した者のうちでも知事として参列した者、個人として参列した者等があったが、被控訴人は鹿児島県知事として参列した。

なお、本件大嘗祭について宮内庁長官から参列の案内を受けた者の範囲は、国の機関である立法、行政、司法の関係者、地方公共団体の関係者、各界の代表等であり、このうち、立法関係者は衆議院及び参議院の議長、副議長等、行政関係者は内閣総理大臣、各国務大臣、政務次官、事務次官、検事総長、次長検事及び検事長等であり、司法関係者は最高裁判所長官、最高裁判所判事及び各高等裁判所長官等であり、地方公共団体の関係者は各都道府県知事及び議会議長、各市町村長及び議会議長の代表各一名であった(甲三七の2)。

(二) 被控訴人は、他の参列者とともに、悠紀殿供饌の儀に参列し、まず、式部官の案内で休所から南面鳥居(神門)及び柴垣の外の幄舎に入り、北を向いて椅子に着座した。そして、祝詞が奏され、天皇が御座につき、地方の風俗歌などが奏された後、皇后の拝礼に続く、皇太子などの皇族の拝礼のときに、拝礼の方向などの指示がないまま、式部官の単に「御拝礼願います。」との合図に従って、椅子から立上がり、そのまま前方を向いて一礼する方法により拝礼し、悠紀殿供饌の儀が終了した後、退出した(甲三七の1、2、当審調査嘱託の結果)。なお、被控訴人の拝礼の方式については、これを直接認定する証拠はないが、右認定の幄舎の位置が悠紀殿などから遠いことや式部官の合図の内容からすると、通常は一礼する拝礼方法によるものと考えられ、かつ、多数の参列者とともに儀式に参列していることからすると、他の参列者と異なる方法の拝礼を行うとは考え難いから、被控訴人も同様の方式で拝礼したものと推認され、また、悠紀殿など儀式の行われた場所は暗く、幄舎から遠いため、参列者にはそこで行われた儀式の様子は分らない状況であった(甲三三、当審L証人一九一項)。

2  被控訴人の意図、目的及び宗教的意識

(一) 被控訴人は、右の目的等について、産経新聞の調査に対して、「宮内庁から案内をもらい、出席するのが自然」と回答し(甲九一の3)、平成二年一一月二三日付でその旨の報道がなされ、また、鹿児島県監査委員に対し、「大嘗祭の出席については、宮内庁長官から知事に対し正式に御案内をいただき、また大嘗祭に関する政府見解も出されたことから、これに出席して祝意を表わすことは社会的儀礼行為であるとの認識で出席したものである」旨を回答し(乙一四)、また、同様のコメントを、平成三年二月一八日、書面にして報道機関にも公表し、それは翌一九日に新聞報道された(乙一五、一六、一七)。

それらの事実からすると、一般に、慶弔事で執り行われる儀式に参列するに当たって、参列者はその儀式の宗教的性格というよりも、その慶弔事に係る人との関係から参列するかどうかを考えるのが通例であり、そこでは参列者の宗教的意識が希薄であるのと同様に、被控訴人の本件参列行為の意図、目的等における宗教的意識は希薄であり、むしろ、前記1に認定した事実並びに本件大嘗祭が皇位継承に伴う皇室の伝統的儀式であることを総合すると、被控訴人には社会的儀礼としての意識が強かったと認められる。

また、被控訴人が拝礼を行った点について見ても、一般的に、儀式に参列した者が特に宗教的意義の強い行為でない限り主催者の次第に従って行動することは社会的に自然なことであり、そのことに儀式の参列とは別の特別な宗教的意義があるということはできない。被控訴人の拝礼の行動は前記認定の程度のものに過ぎず、それ以上のものとは認められないので、それをもって神道に対する信仰の表明ないしはそれに準ずる宗教的意義のある行為と認めることはできない。

(二) この点に関し、控訴人は、被控訴人が宗教的目的で本件行為を行ったことを認定すべき事情があると主張するが、控訴人の主張する事情は、以下に述べるとおり、いずれも右の判断を左右するものではない。

(1) 被控訴人が儀式の性質に関して事前に理解していたことについて

まず、控訴人は、宮内庁からの案内状に同封された大嘗宮の儀の次第には神式の宗教儀式であること及び参列者が拝礼を行うことが、また、大嘗宮の儀の当日に配付された資料には皇祖及び天神地祇に対する儀式であることがそれぞれ記載されており(乙八、二六の2、当審調査嘱託の結果)、被控訴人は、事前に、これらを知っていた旨主張する。しかし、大嘗祭に関する政府見解等はしばしば報道され、また、大嘗宮の儀の当日に配付された資料には、控訴人指摘の点の他にも大嘗祭の意義について政府見解に副った内容の説明が合わせて記載されていた(当審調査嘱託の結果)から、被控訴人は、本件大嘗祭の儀式に宗教的意味はあるものの天皇の皇位継承に伴う伝統儀式であるという側面のあることをも認識していたと認められる。そうすると、被控訴人がこのように宗教性と伝統性という両面の性格を有する儀式に参列し、拝礼することについてどのように考えていたかが問題なのであって、本件大嘗祭に宗教的意義があることを知っていたからといって、そのことから直ちに被控訴人の本件行為が宗教的目的から出たものということはできない。

(2) 被控訴人が庭積の机代物に関し、農業団体等の推薦を行ったことについて

控訴人は、被控訴人が宮内庁長官から鹿児島県知事宛にされた本件大嘗祭における庭積の机代物の供納の推薦依頼に応じたことを理由に挙げている。確かに、被控訴人が平成二年三月一九日付で、鹿児島県知事名をもってその推薦などをしたことは認められる(乙二二、二三の1、2、二四の1ないし4、二五の1ないし6)。しかし、実際に、被控訴人自身がそれにどのような関与をしたかは証拠上明らかではなく、仮に被控訴人がそれらの全てに関与し、被控訴人の直接指示のもとに行わせたとしても、天皇の神格化儀式ないしは服属儀礼の儀式と認識してそれに応じたと認められるような事情は証拠上一切窺えず、むしろ、弁論の全趣旨からすれば、被控訴人は本件大嘗祭に使用される庭積の机代物が各県の知事の推薦で供納されることを知り、単にこれに協力したというに過ぎないものと認められるから、この点も、被控訴人が大嘗祭に宗教的目的、意図をもって参列し、拝礼したことを推認させるものとはいえない。

(3) 参列しない知事の存在並びに代替手段との関係について

控訴人は、大嘗宮の儀に対する参列の案内を受けながら参列しなかったり、私費で参列した知事が多数あり、また、祝意を述べるには祝電等の代替手段があるのに、被控訴人が知事として敢えて参列したのは宗教に対する支援の意図等があることを示すものである旨主張する。大嘗宮の儀に対する参列の案内を受けながら参列しなかった知事が相当数に上り、その中には大嘗祭の宗教的性格を理由として参列しなかった知事もあり、また、私費で参列した知事もいたことは認められるが、他方、大嘗祭の宗教的性格には着目せず、天皇の皇位継承に伴う重要な伝統儀式に儀礼を尽す趣旨で参列した知事も相当数あったことが認められるのであって(甲九一の3)、案内を受けながら参列しなかった知事が相当数あり、その中には大嘗祭の宗教的性格を理由として参列しなかった知事がおり、また、私費で参列した知事がいたことをもって、被控訴人に神道に対する支援の意図、目的等があったことを示すものであるということはできない。また、他に祝意を述べる代替手段があっても、その中から自己の真心を伝える方法としてより適切と思われる方法を選択することは、人間の自然の情であるから、他の代替手段があったことを捉えて、被控訴人に神道に対する支援の目的、意図等があったということもできない。

(三) 以上の次第であるから、控訴人の主張する事情から、被控訴人が本件行為を行うに当たって、その意図、目的等において控訴人主張のような宗教的意義があったということはできない。

3  本件行為に対する一般人の評価並びに本件行為が与える影響

本件大嘗祭そのもの及び本件大嘗祭に対する国費の出捐については、様々な意見があり(甲九一の3)、国民がこれをどのように受け止め、どのように評価したかは、にわかに判断できない。

しかしながら、被控訴人が本件悠紀殿供饌の儀に参列し拝礼した本件行為に限っていえば、前記(三、4、(一)、(二)及び四、1、(一)、(二)、2(一))の諸点を踏まえる限り、その関わり合いの程度から見て、理性的、合理的に判断する一般人としては、被控訴人の本件行為を天皇の即位に関連する社会的儀礼の範囲内のものとして受け止め、それ以上に、神道に協賛するなどの宗教的意義のある行為であるとか、神道、特にかつてのいわゆる国家神道に対する関心を呼び起こす精神的、心理的効果があるとまで評価するものではないと考える。

五  本件行為と政教分離原則についての当裁判所の見解

1  以上、要するに、本件大嘗祭は、前記のとおり、その趣旨及び形式等からして神道の儀式としての色彩を有する宗教上の儀式と見られるが、もともと大嘗祭には皇位継承に伴い、天皇が皇祖及び天神地祇に安寧と五穀豊穣を感謝し、国家・国民のために安寧と五穀豊穣を祈念するという伝統儀式としての意味及び性格があること、戦後、国家と神道の完全分離がなされ、天皇及び皇室も明治憲法における従来の天皇制を否定しており、国民の間においても天皇観の相克の時代は過ぎて、民主主義、象徴天皇制が定着してきていること、本件大嘗祭の意味内容及び性格について天皇及び皇室も政府見解に従うとしており、これは神社本庁の教義と一線を画するものであること等を考えると、本件大嘗祭の意味内容及び性格が憲法の定める国民主権の原理及び象徴天皇制に違反するとまではいえず、これを過去の大嘗祭、特に明治以降の大嘗祭における神格化儀式としての宗教性はなく、天皇が皇祖及び天神地祇に安寧と五穀豊穣を感謝し、国家・国民のために安寧と五穀豊穣を祈念する伝統的な皇位継承に伴う儀式に過ぎないと位置付けることもできないではなく、また、被控訴人の本件行為は宮内庁長官からの案内を受けて、案内を受けた他の国及び地方自治体の関係者らとともに単に本件大嘗祭における大嘗宮の儀のうちの悠紀殿供饌の儀に参列し拝礼したもので、被控訴人の本件行為はその意図、目的等において宗教的意識が希薄であり、むしろ、社会的儀礼としての意識が強かったと見ることができること、一般人においても被控訴人の本件行為程度のものは天皇の即位に関連する社会的儀礼の範囲内のものとして受け止めることができる性質のものと考えられること等、諸般の事情を考慮して判断すると、被控訴人の本件行為は、その目的において宗教的意義があるとはいえず、また、その効果についても、特定の宗教である神道に対する関心を呼び起こし、それを援助、助長、促進し、他の宗教や無宗教者に対する圧迫等に繋がる精神的、心理的効果があるとはいい難く、これによって、知事ないし地方自治体と神道との関わりが我が国の社会的、文化的諸条件に照らして相当とされる限度を超えるものということもできないと考える。

なお、控訴人は、愛媛玉串料事件において最高裁判所が適用した目的効果基準に照らせば、被控訴人の本件行為は当然違憲とされるべきであると主張する。

しかし、愛媛玉串料の事件は、愛媛県が宗教法人靖国神社が挙行した春季又は秋季の例大祭に際して玉串料を、同宗教法人が挙行した「みたま祭」に際して献灯料を各奉納し、また、宗教法人愛媛県護国神社が挙行した春季又は秋季の慰霊大祭に際して供物料を奉納した事案であり、それらの祭祀は神社神道における中心的宗教活動であって、玉串料及び供物料は宗教上の儀式においてその神前に供えられるものであり、献灯料は「みたま祭」において境内に奉納者の名前を記した灯明を掲げるためのものであって、いずれも各神社が宗教的意義を有すると考えているものであるのに対し、本件は、皇室が主催し、天皇が主宰者として、天皇の即位に伴い、一世に一度行われる前記認定のとおりの意味内容及び性格の皇室の伝統儀式に被控訴人が案内を受けて参列し、拝礼したものであり、その儀式の内容、性格が全く異なり、その行為の関わり方も全く異なるものであるから、両者は事案を異にし、愛媛玉串料事件において最高裁判所が適用した目的効果基準に照らして当然に被控訴人の本件行為が違憲と評価されるものではない。

2  右のとおりであるから、被控訴人の本件行為は憲法二〇条三項により禁止される宗教的活動に該当せず、また、宗教団体に特権を与えるものともいえないから憲法二〇条一項後段に違反するともいえず、したがってまた、本件支出が憲法八九条に違反するということもできない。

六  結び

よって、控訴人の本訴請求を棄却した原判決は相当で、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 海保寛 裁判官 多見谷寿郎 裁判官 水野有子)

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